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2010年12月26日日曜日

Americans should know and learn the facts of Hiroshima and Nagasaki.


The Asahi Shimbun, a Japanese newspaper reported as follows.

Fifty-five percent of the respondents said the United States had no choice but to drop the atomic bombs on the two cities in August 1945, while 34 percent said the nuclear attacks were "a mistake."
The telephone survey, conducted on people aged 18 or older by U.S. research firm Harris Interactive Inc. from Dec. 2 to 6, was commissioned by The Asahi Shimbun. It received 1,009 valid responses.
The news didn’t disappoint me. I thought 34 percent of Americans become to think the nuclear attacks were wrong at last. Those who think they didn’t have any choice have had little information about the facts of Hiroshima and Nagasaki. We, knowing the facts, should tell Americans them. I hope the day, most of Americans think the nuclear attacks are a war crime, will come.
I went to ROK and talk about Hiroshima and Nagasaki with a Korean professor of history education last October. He said he had thought the atomic bombings were that the Japanese had no one but themselves to blame until 15 years ago. But I went to Hiroshima and Nagasaki and heard the facts from victims of atomic bombs. I came to understand atrocity to kill many civilians.
Only by watching a Mushroom cloud on TV and remembering some passages on history textbooks, we can’t realize the facts. We must see the scenes and hear from the victims.  We should imagine if you and your families lived there at the time, what we would think about it. No reasons warrant killing of the common citizen by a nuclear weapon. President Obama should come to Hiroshima and Nagasaki. Americans should know and learn the facts of Hiroshima and Nagasaki.


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2010年12月23日木曜日

京都耳塚を世界文化遺産に



豊臣秀吉には大阪人は思い入れが大きい。家康は嫌いだが、秀吉は好きだ。巨人は嫌いだが、阪神は好きだ。単なる大阪の東京に対する対抗意識も一因だろう。しかし低い身分から出世して天下をとったということに庶民の憧れが集まるのだろう。大阪人にとっては子供の時からたびたび行った大阪城大阪城をつくった太閤秀吉さんなのだ。子供の頃は私もその大阪人の一人であった。

しかし隣の韓国ではまったく違う。秀吉は嫌いな日本人の代表格である。16世紀末秀吉は朝鮮侵略を行なった。日本での天下統一を果たしたのち清国に攻め入る手始めに朝鮮を侵略したのである。これは秀吉だけの考えではなく信長も同じ構想を持っていた。その秀吉の朝鮮侵略は朝鮮の人々に塗炭の苦しみをあたえた。日本の侵略で、何十万という人が殺され、歴史的建造物が焼き払われた。多くの人が強制的に日本に連れ去られ、その人達が伊万里焼き、薩摩焼きなどの陶磁器誰がつくり始めた。そして戦争の残酷さの象徴として京都にある耳塚には戦功の証として十万を超える切り取られた朝鮮人の耳が埋められている。

日本人は知らなすぎる。学校で秀吉の朝鮮侵略はどう教えられたのか。繰り返し上演・上映される秀吉の一代記で朝鮮侵略は如何に表現されたのか。自分の記憶をたどってもはっきりしない。自分はどう理解していたのか。教科書には朝鮮出兵とあったと思う。兵を朝鮮に出したということだけで、侵略である事実や、どれほどの殺戮と破壊がおこなわれたかについての教えられた記憶はない。だから庶民と大阪の代表である豊臣秀吉が好きだったのである。知らないということは恐ろしいことである。

先日、「月下の侵略者 文禄・慶長と耳塚」という映画を見た。その映画の一シーンに耳塚の周囲に一般民家が密集して立っているシーンがあった。周辺住民をうんぬんする意図は全くないが、日本人の歴史認識の様を象徴している印象をうけた。そこに何が埋められているのか、ほとんど知らず意識もしないように見えた。事実は知らなければならない、事実は教え続けられなければならない。歴史的事実を知らなければまた同じ間違いをする。被害を受けた近隣諸国の民衆から信頼されない。

映画の中では韓国の人が耳塚は韓国に移設したいと発言されるシーンがあった。私は、何らかの方法でその希望に応える必要があると思うが、耳塚を含めその周辺を文化公園として整備し、日本の加害の歴史を学ぶ場所にする必要があると考える。戦争被害の象徴である広島・長崎とともに平和主義を貫くことを決意した日本の原点にしたい。広島の原爆ドームはすでに世界歴史遺産に登録されている。耳塚が歴史遺産になること希望する。
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2010年12月16日木曜日

今度こそ戦争を阻止しよう

 新聞によると韓国軍が18日にも大延坪島近海で射撃訓練実施するそうだ。それに対して北朝鮮がどの様に反応するか大いに危惧される。戦争の危機が依然続いていると言わざるをえない。


 北の全面戦争の危険もはらんだ冒険主義的軍事行動に対して、韓国の度重なる軍事演習は抑止よりも挑発の性格が強い。軍事力では圧倒的な差があり全面戦争になれば大人と赤子の戦いになることは周知の事事である。わざわざこの局面で演習をする必要などない。とくに軍事境界線の近くで演習をする必要はない。あえてそれをするのは挑発の意図が見える。いかなる大義名分があろうとも、砲弾の先には一般民衆がいる。どの国であれ民衆の血を流す企てを許してはならない。


 19世紀から20世紀にかけて多くの一般民衆の血が流された。その結果ようやく戦争放棄をうたった日本国憲法を獲得した。20世紀後半のベトナム戦争では戦争の惨禍を見て戦争反対の大運動が起こった。21世紀初頭のイラク戦争では開戦前より反対運動がおこった。しかしイラク戦争は起こされた。そして今回の東アジアの戦争の危機である。今度こそ戦争を阻止したい。開戦前に阻止したい。

 朝鮮半島、東アジアでの戦争を阻止したいとの願いは万人のものである。いまこそ戦争反対の意思を個人、団体が表明する時である。声を上げる時である。戦争反対の東アジア統一行動の実現を望む。


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2010年12月2日木曜日

あの時、何をしたの

「あの時、おじいさんは何をしたの」大学の冬休みで久しぶりに帰郷した孫のさくら子は私に聞いた。「あの時って」「20年前の2011年の冬のことだよ」東アジアに戦争の危機が間近に迫った時に、私は何をしたかと聞くのである。あの時愚かな指導者が他国を攻撃し、別の国の狡猾な指導者が何倍もの報復をすると宣言し軍事力を誇示していた。両者ともお互いの武器の先に一般民衆がいることを全く気にかけていなかった。このまま黙って手を拱いていれば戦争になるそんな局面であった。
20年後の2031年の1月に子供や孫の世代が、ひょっとすると私も含めてが、どんな正月を迎えているのか。私たちの住む東アジアの自然や人々の生活がどんなものになっているか。それを決めるのが今の瞬間だと思う。まさか戦争にはならないなんて思っていると手遅れになってしまう。他国の非道を非難し自衛戦争を叫ぶ声に抗えず押しつぶされてしまう。20世紀の戦争の歴史の中で学んだことは戦争の悲惨を再現しない、国際紛争を戦争で解決しないということである。今こそいかなる理由があっても戦争は絶対に駄目だとはっきり声を上げる時だ。
 「あの時、おじいさんはね・・・・」と、誇りをもって語れるようになりたい。
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2010年9月19日日曜日

佐々木梅治 芝居読みがたり「父と暮せば」(井上ひさし)

舞台装置は彼岸花とレンガそれだけ。佐々木梅治芝居読みがたり「父と暮せば」を観た。感動その一言に尽きる。

9月18日19日「第21回核戦争に反対し、核兵器の廃絶を求める医師・医学者のつどいin奈良」に参加した。標記の公演は「つどい」のオープニング企画として行われた。

恥ずかしながら私は井上ひさしの「父と暮せば」を読んだことがなかった。04年に宮沢りえ主演で映画化された同名の作品も見ていない。それが被爆者を主題にしたものであることも失念していた。

佐々木梅治は衣装もなく、一脚の椅子に腰をかけ、時には立ち上がり手にした一冊の本を読み・演じた。手ぬぐいで顔の汗と涙をぬぐいながらの熱演であった。1時間半の公演はあっという間に終わった。

登場人物は二人。被爆者の娘と、原爆で死んだ娘の父の幽霊。時は終戦からの3年後昭和23年。生真面目な娘は心の傷が癒えず、幸せになることをためらう。思いを寄せる男性からも身を引こうとする。そんな姿を見て、お調子者の父は娘の背を押そうとして、幽霊として姿を現す。話は井上ひさしらしく喜劇じたてで進む。

落とされた2発の原爆で、45年末までに広島14万人、長崎7万人の人がなくなった。しかし原爆は規模が大きな爆弾であるだけでない。生き残った被爆者たちに体と心に傷を負って生きることを強いた。

「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と娘は語る。「あのときの広島では死ぬるんが自然で、生き残るんが不自然なことやったんじゃ。」「うちゃあ生きとんのが申し訳のうてならん。」そして続ける「うちは、自分のしたことに蓋をかぶせとった。・・・・うちはおとったんを見捨てて逃げよったこすったれなんじゃ。」

究極の修羅場。生き残ったものが負わされた拭えない傷。峠三吉が「にんげんをかえせと」とうたったのは、死者を生き返らせよと言っているだけではなく、生き残ったものの人間としての尊厳をかえせと言っていることがわかった。

父親は言う。「おまいはわしによって生かされとる。」「あよなむごい別れがまことなん万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ」

まことにそのとおりである。生かされているのは娘だけではない。我々すべてが生かされているのである。65年間にわたり地球上の全人類を殺すのにあまりがある核兵器に囲まれながら核戦争が起こらなかったのは奇跡だ。広島長崎の市民の核爆弾を体験が核戦争をかろうじておしとどめた。我々は核爆弾の犠牲者によって生かされてきたのだ。

核兵器は非戦闘員の無差別殺戮兵器である。直ちに禁止し廃絶しなければならない。しかし65年経過した今にいたっても投下した当事国であるアメリカはその事実を直視出来ていない。アメリカだけでない、世界中の市民がその事実を直視することができるようにしなければならない。

父は「人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるのが、おまいの仕事じゃろが」と言う。
井上ひさしは「『(被爆者の)これらの切ない言葉よ、世界中に広がれ』と何百回となく呟きながら書いていました。」と言う。
佐々木梅治もこれらの言葉に押されて公演を続けるだろう。そして観客を感動させ、それれぞれの人に果たすべき仕事を与えるだろう。
わたしも被爆者と井上ひさしと佐々木梅治に力を貰った。必ず核兵器を廃絶すると改めて決意した。

娘は言う「おとったん、ありがとありました。」
「井上さん、佐々木さん、ありがとうございました。」
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2010年9月12日日曜日

沖縄に行こう




95年阪神大震災の時「神戸に行かなければ」と思った
今、同じ気持だ

1月名護市長選挙の勝利は嬉しかった
沖縄・徳之島の運動は素晴らしかった
「国外、県外」を約束した鳩山前首相に期待もした
でもアメリカに恫喝されて腰が砕けた
「日米合意」が発表された時、口惜しかった
首相の意志と県民の願いは足蹴にされた
やはり日本はアメリカの属国なのだ

沖縄県知事選の勝利は辺野古に基地をつくれない状況をつくる
国民は沖縄と安保条約を直視させられる
負けられない選挙だ
沖縄と日本の性根を示す時だ
11月沖縄に行こう

2010年8月7日土曜日

ルース大使の一日(fiction)

 今日は辛かった。ホテルの部屋に戻りふっと溜め息をついた。彼の指示で死没者慰霊式に出席した。日本在勤中にいつかは出たいと思っていたから望むところであった。しかし、本国政府は献花をしてはならない、スピーチもしてはならないというのである。私が式に出席するのは、「第2次大戦のすべての犠牲者への敬意を表明するため」と本国は述べた。どこの世界に慰霊式に出席して花も持たず、「とりたててあなたがたを慰霊しに来たのではありません」という奴がいるだろうか。
 私は彼の理想主義が好きである。核廃絶をめざすと表明したことも支持している。でも国内で支持率が低下した昨今、実用主義的手法が目立つようになった。今回も、私に慰霊式参加させて議会やマスコミの反応を瀬踏みしようというのである。しかし信念もとづく行動をしない限り人は変わらない、支持率も回復しないと思う。
 母からメールがきた。「花を忘れて、慰霊式に出席したんだって。間違ったことをしたら、謝りなさい。前から言っていることでしょう。」
 いつまでも子供扱いだ。でもこれで、踏ん切りがついた。彼にメールを送ることにする。「秋には、ぜひ広島に行ってください。その時は花とスピーチの準備を忘れずに」と。