Translate

2011年8月16日火曜日

今年の百日紅の花の色は薄いか

今年の夏はいつもと何かが違う。公園の百日紅の色が薄く感じる。咲くのも遅かった。友人に聞いてみたら、そうは思わないと言う。逆に白内障でも始まったのではないかとからかわれた。

それでも気になるので植物園に電話かけて聞いてみた。
「今年の百日紅は咲くのが遅かったし、色が薄いと思うのですが、そんなことはありませんか」と。こんな質問に丁寧に対応してくれた。春先が寒かった関係で今年の花木はボタンも桜も一週間くらい開花が遅くなっている。乾燥が強いと色が浅くなることがあるが、今年の色は特に変わらないと。

どうも今年の百日紅の色がうすいと感じるのは私の錯覚のようだ。

夏は色鮮やかな花がたくさん咲く。そのなかでは百日紅が好きだ。朝早く打ち水した庭に咲く紅い百日紅の花、濃い緑に映えて美しい。また今日も一日暑いが頑張ろうという気になる。でも今年は少しちがう。

今年は地震・津波・原発事故と大きな出来事があった。特に福島原発の事故は心に傷を残している。これまで何気なく使ってきた電力が結果的に福島の人をこんな目に合わせている。すまないという思いが続く。

いつかは2011年をふりかえってあの時から私は、世の中は変わったと言える日が来るようにしたい。
来年の夏は百日紅の紅を楽しみたい。

2011年8月15日月曜日

화로마음용융의 사실은 숨겨지고 있었던


 경제산업성 원자력안전·보안원의 테라사카 노부아키 원장이 8월10일 회견했다. 후쿠시마 원전사고 직후의 3월12일에, 핵연료가 녹아 떨어지는 화로마음용융에 가까운 상태가 되고 있었던 가능성을 인식하고 있었다고 말했다. 


도쿄전력은 사고발생후 2개월에 후쿠시마 원전에서, 화로마음용융이 일어나 있었던 가능성을 인정했다. 
일본정부와 도쿄전력은 사실을 사고 직후에 공표하는 것을 소홀히했다. 원전주변자치단체의 주민들을 피폭시켰다. 정보은폐의 경위를 분명히 할 필요가 있다. 


후쿠시마 원전사고의 모든 사실을 밝힌다. 사실을 배운다. 이것이 다시, 히바쿠샤를 만들지 않는 우리들의 책무다. 

2011年8月12日金曜日

アナログ放送終了から20日 町には依然“砂嵐”が吹きすさんでいる

依然砂嵐
テレビの上にチューナーがある
8月12日午後、今日も訪問診療だ。今日の最高気温は34度。気象台の風とおしのいい百葉箱の中の気温が34度。アスファルトの道路はそれより3-4度高い。暑いと口にするのも嫌になるぐらいだ。

小林さん昨日は熱が出て、臨時の往診で点滴をした。今日はだいぶ元気で、トイレまで歩けるようになっていた。今日は点滴なしで行くことにした。たまたま娘さんが来られていたのでテレビはどうなりましたと聞いてみた。チューナーは電器屋さんがつけてくれたが、チューナーとテレビの両方のスイッチを入れてテレビを見る操作ができない。それでテレビは見られないままとのこと。

認知機能に問題がある人が新しい機器の操作を学習することは難しい。

安井さん。今日もラジオをかけていた。先週、チューナーが宅急便で届いているのを知っているので、「電器屋さんがチューナーをつけてくれましたか」と聞いてみた。「ダメなんです。電器屋さんが来て、器具をつけてくれたが映らないです。テレビが壊れているのでしょう。」と言われる。地デジ移行までは、立派に映っていたテレビなので、それが故障したとは考えにくい。テレビの上を見ると、チューナーがケーブルで接続されていた。テレビとチューナーのコンセントを差し込んで、スイッチを入れたが「砂嵐」だ。私もチュナーの操作がわからないのが、いろいろしてみた。でもテレビは見られなかった。

この二人のところにも遅ればせながらチューナーが届いた。たしかに地デジ対応は少しずつ進んでいるようだ。でもこの二人のようにチューナーが使いこなせていないところが多いのではないか。税金を使ってチューナーを配布してもこのままではムダ金だ。

貧困・独居・認知機能低下この三つがある人のへのきめ細かい援助が必要だ。マスコミはどうしているのだ。地デジ移行直後は新聞が少し報道したが、それ以降ご無沙汰だ。テレビは地デジ難民という言葉は放送禁止用語と考えているのか。まったく報道しない。

依然地デジ難民は“砂嵐”の中を放浪している。

2011年8月11日木曜日

ヒバクシャPEACETOUR 原水協アメリカ遊説の旅 吉崎幸恵著


2011年8月の原水禁世界大会長崎の会場で著者の吉崎幸恵さんにお会いしました。吉崎さんは開会総会で署名活動の報告をされていました。たまたま一日目の閉会後、会場の外に立っている時に吉崎さんから声をかけられこの本を購入しました。

吉崎さんは5歳の時長崎で爆心から3.6㎞の地点で被爆されています。1985年7月から8月にかけて「核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団の一員としてアメリカ各地で集会に参加し、幾度も記者会見をされ被爆の実相と実情を伝え、核兵器の全面禁止の緊急性を訴えられました。集会では、「あの日、わたしは」という自作の歌を歌われました。
 「〽あの五歳の夜 わたしは忘れません 長崎が死のまちとかわりはてたことを・・・・」

85年といえば、日本航空の御巣鷹山事故の年です。また阪神が21年ぶりに優勝した年です。

被爆の実相をアメリカの人々がどのように受け止めてくれるか、どのように理解してもらえるか不安を持っていたが、大方の歓迎と共感が寄せられました。また現地の方との交流で、被爆の被害の訴えだけではなく、日本軍国主義者による侵略戦争や残虐行為についての反省を明確にすることが大切であることを気づきました。

自分も被爆者であるという米兵が「原爆投下=人命救助論」を展開しそれとの論争も行いました。
これは今に至る、アメリカ人の一般的考え方です。

また「爆心地には放射能の死の灰は降らなかった。放射能はきのこ雲の周囲に広がり、爆心地には影響を与えていない」と主張する別の元オランダ兵被爆者とも論争しています。

広島原爆投下直後の被害状況をB29から撮影したディック・ショウウッド氏と原爆搭載機の搭乗員に対して、成功のための祈りをささげた神父ジョージ・ゼベルカ氏と涙の対面をしました。「ヒバクシャには申し訳ないことをした。許してほしい」と謝罪の意が表明されました。

サンタフェでは市長から名誉市民章を送られました。

長崎でお会いした吉崎さんは、85年の自分たちの活動が今日の核廃絶運動前進の礎になっていると自信を持って語っておられました。ぜひ多くの方が読まれることをお勧めします。

一般の書店での入手は困難です。
直接 〒812-0893 福岡市博多区那珂4-27-10-303(電話 092-431-0755) 吉崎幸恵さん宛 まで申し込んでください。 定価は1200円です。

Who was killed by the atomic bomb that the U.S army dropped over Nagasaki, Japan on Aug. 9, 1945?


the ruin of the Urakami Cathedral
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/

Ground zero was Matuyama-tyo, Nagasaki city. The Urakami Cathedral, which was known as the largest in Asia, was situated about 500 meters northeast of the epicenter. Many Japanese Christians live in Nagasaki, and especially in the Urakami area.


Christians in Japan have observed their faith, often in spite of merciless suppression, since 1567. More than few of them were killed by their landlords. Christianity was only admitted as a faith in 1873, after the Meiji Restoration. Urakami, Nagasaki has been the center of Christianity in Japan since then. The Urakami Cathedral was destroyed by the atomic bomb on August 9, 1945. There were about 12,000 believers, and 8,500 of them died from the atomic bomb. The total number of casualties from the bomb numbered 70 thousand.


Did you know the atomic bombs didn’t kill the aggressive imperialists, but did faithful Japanese Christians and Japanese common people?



2011年8月9日火曜日

長崎市幸町俘虜収容所


長崎に来たらぜひ行きたい場所があった。戦争中の長崎市幸町の福岡俘虜収容所第14分所跡だ。そこで外国人俘虜8名が原爆で殺されたと記録されている。その場所を確認したかったのだ。路面電車の宝町電停で下りて西へ少し歩くと幸町だ。そこで道を歩いている昔のことを覚えていそうな高齢の方に収容所の場所を聞いてみた。でもみんな知らないという。仕方がないので道路沿いにあった事務所に入って「俘虜収容所の跡地を知りませんか」と聞いたら、事務所にいた6人全員が驚いた顔をして私を見た。いろいろ聞き歩いて杉永蒲鉾の隣に戦後県営バスの車庫があって今は三菱重工業長崎造船所幸町工場になっていることがわかった。そこに戦争中は俘虜収容所があったのだ。


ようやく浦上川沿いの大きな道路に杉永蒲鉾を見つけた。しかし72歳の杉永蒲鉾の人に聞いても俘虜収容所は知らないと言う。三菱の工場の入り口の守衛さんに「ここに収容所があったのですが、記念碑はありませんか」と聞いたら律儀に部屋から出て応対してくれたが「あったことも知らないし、記念碑もない」といわれた。

収容所跡地に立って、不幸にも捕虜になり味方の原爆投下で被爆した200名の方の心境を想った。戦争は残酷だ。味方すら見捨てる。被爆死した英兵捕虜、ロナルド・フランシス・ショウさんは、ジャワ島付近で搭乗機が撃墜されて捕虜となり、日本に移送される途中、長崎沖で撃沈され、救助されて収容された。撃墜、撃沈と2度もの死線をくぐり抜けてきた彼は、味方の原爆で殺された。

私がここに来たかったのは、昨年末のBBCの広島と長崎で二回被爆した山口彊さんを笑いものにする番組があったからだ。その時私がBBCのホームページに批判のコメントを載せると「戦争で残虐行為をした日本人に批判する資格はない」とか「鯨を食べる奴が何を言うか」とか言うコメントがたくさん寄せられビックリし悲しい気持ちになった。原爆投下の真実を知らないことは恐ろしいことだ。BBCの放送を正当化する人たちはロナルド・フランシス・ショウさんも笑いものにできるのか。

原爆投下は一般市民の大量殺戮を目的にしたものである。7万人が殺された。その中には日本人だけではなく外国人も含まれていた。朝鮮人の死亡者は1400人〜2000人と推定されている。中国人が156人。そしてこの俘虜収容所で8人(オランダ人7人、イギリス人1人)が殺された。

知らないことは恐ろしいことだ。そして記憶は日々薄れていく。歴史認識を確かなものにする努力をすること。風化させない様に語り継いで行くこと。それが大切だ。

2011年8月6日土曜日

「原子」は人間を幸せにするか 平和利用を考える

「原子は爆弾のほかに使いみちはないの?」
「いいえ、あるとも。こんなに一度に爆発させないで、すこしずつ、連続的に、調節しながら破裂させたら、原子力が汽船も記者も飛行機も走らすことができる。石炭も石油も電気もいらなくなるし、大きな機会もいらなくなり、人間はどれほど幸福になれるかもしれないね」
「じゃ、これからなんでも原子でやるんだな」
「そうだ、原子時代だ。(略)」

これは電力会社の広告文ではありません。長崎医大で自らも負傷しながら市民の救援にあたった永井隆先生が書かれた随筆集「長崎の鐘」の中の一文です。原爆が投下された1945年の、12月の子供さんとのエピソードを書かれたものです。1949年1月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーになっています。廃墟の中で再生を願いつつ、原子力の平和利用に対する強い期待が記されています。

それから66年が経ちました。人類は核兵器の廃絶に成功していません。核兵器は9か国2万発超が配備されています。平和利用の「象徴」とされた原子力発電所は、スリーマイル・チェルノブイリ・福島と三度大事故を起こしました。今や多くの人は原子力発電所が人間を幸せにするものではないことに気がついています。脱原発は多くの人の支持を受けています。永井隆の「長崎の鐘」は、「人類は原子時代に入って幸福になるであろうか?それとも悲惨になるであろうか?」と書いています。少なくとも2011年の現時点では幸福になったとはいうことはできません。

では永井隆の「原子時代」への希望は愚かな夢想だったのでしょうか。私はそう断定できません。なぜ人間の幸せのために「原子」が役立たなかったのか。そのことを検証するする必要があります。人間の幸せの前提は安全です。その安全がどういった経緯でないがしろにされてきたのか。そのことを明らかにする必要があります。国家の利益や企業の利益が情報をコンロールし、主権者である国民の判断を狂わせたのではないでしょうか。

原子力基本法は、以下のように定めています

(目的)
第一条  この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条  原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

なぜこの目的と基本方針が確保されなかったでしょうか。その検証が求められます。それに基づき原子力基本法の改定が求められます。

誤解を恐れずにいえば、私は現時点でも永井隆の「原子時代」の夢、人類の幸せを実現するための「原子」の利用の可能性を信じます。現行の原子力発電は未完成の技術で停止する以外に選択はありません。しかし、人間の幸せに役立つ「原子」の平和利用の可能性を否定することはできないと考えます。繰り返しますが人間の幸せの前提は安全です。安全を確保しながら「原子」の平和利用のための基礎研究は継続していく必要があると考えます。そして安全性が担保されれば実用利用することは可能です。この考えと脱原発は並び立ちます。そのための叡智の結集が必要です。国民的合意をつくり脱原発を実現するためにも、安全性を確保した原子力の平和利用についても議論を進めていく必要があります。