舞台装置は彼岸花とレンガそれだけ。佐々木梅治芝居読みがたり「父と暮せば」を観た。感動その一言に尽きる。
9月18日19日「第21回核戦争に反対し、核兵器の廃絶を求める医師・医学者のつどいin奈良」に参加した。標記の公演は「つどい」のオープニング企画として行われた。
恥ずかしながら私は井上ひさしの「父と暮せば」を読んだことがなかった。04年に宮沢りえ主演で映画化された同名の作品も見ていない。それが被爆者を主題にしたものであることも失念していた。
佐々木梅治は衣装もなく、一脚の椅子に腰をかけ、時には立ち上がり手にした一冊の本を読み・演じた。手ぬぐいで顔の汗と涙をぬぐいながらの熱演であった。1時間半の公演はあっという間に終わった。
登場人物は二人。被爆者の娘と、原爆で死んだ娘の父の幽霊。時は終戦からの3年後昭和23年。生真面目な娘は心の傷が癒えず、幸せになることをためらう。思いを寄せる男性からも身を引こうとする。そんな姿を見て、お調子者の父は娘の背を押そうとして、幽霊として姿を現す。話は井上ひさしらしく喜劇じたてで進む。
落とされた2発の原爆で、45年末までに広島14万人、長崎7万人の人がなくなった。しかし原爆は規模が大きな爆弾であるだけでない。生き残った被爆者たちに体と心に傷を負って生きることを強いた。
「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と娘は語る。「あのときの広島では死ぬるんが自然で、生き残るんが不自然なことやったんじゃ。」「うちゃあ生きとんのが申し訳のうてならん。」そして続ける「うちは、自分のしたことに蓋をかぶせとった。・・・・うちはおとったんを見捨てて逃げよったこすったれなんじゃ。」
究極の修羅場。生き残ったものが負わされた拭えない傷。峠三吉が「にんげんをかえせと」とうたったのは、死者を生き返らせよと言っているだけではなく、生き残ったものの人間としての尊厳をかえせと言っていることがわかった。
父親は言う。「おまいはわしによって生かされとる。」「あよなむごい別れがまことなん万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ」
まことにそのとおりである。生かされているのは娘だけではない。我々すべてが生かされているのである。65年間にわたり地球上の全人類を殺すのにあまりがある核兵器に囲まれながら核戦争が起こらなかったのは奇跡だ。広島長崎の市民の核爆弾を体験が核戦争をかろうじておしとどめた。我々は核爆弾の犠牲者によって生かされてきたのだ。
核兵器は非戦闘員の無差別殺戮兵器である。直ちに禁止し廃絶しなければならない。しかし65年経過した今にいたっても投下した当事国であるアメリカはその事実を直視出来ていない。アメリカだけでない、世界中の市民がその事実を直視することができるようにしなければならない。
父は「人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるのが、おまいの仕事じゃろが」と言う。
井上ひさしは「『(被爆者の)これらの切ない言葉よ、世界中に広がれ』と何百回となく呟きながら書いていました。」と言う。
佐々木梅治もこれらの言葉に押されて公演を続けるだろう。そして観客を感動させ、それれぞれの人に果たすべき仕事を与えるだろう。
わたしも被爆者と井上ひさしと佐々木梅治に力を貰った。必ず核兵器を廃絶すると改めて決意した。
娘は言う「おとったん、ありがとありました。」
「井上さん、佐々木さん、ありがとうございました。」
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