橋下徹氏が「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と公言し、彼の大阪府知事時代の言動に発言を合わせてハシズムの到来の危惧を覚える人がふえている。今回の大阪ダブル選挙では独裁対反独裁がひとつ大きな争点になっている。
そんな時朝日新聞11月12日夕刊電子版にのった「〈@ニューヨーク〉5番街に行列を作った2人の経営者」の記事に目を引かれた。
「ニューヨークの目抜き通り「五番街」に10月の同じ朝、長蛇の列が二つできた。一つは59丁目にある米アップルの直営店の前に、もう一つは53丁目に開店した衣料品店(ユニクロ)の前に。」
その二つの会社どちらもカリスマ社長の独裁会社だというのだ。
「米国は元来、最高経営責任者(CEO)の権限が強く、基本はトップダウン型の企業統治が多い。しかしジョブズ氏とアップルとの関係は、もっと個人商店のようなものに思う。」
「このファーストリテイリングも柳井氏の独裁会社だ。極めて強いトップダウン型経営で、かつて自ら選んだ社長を3年で解任したこともある。その代わり機構はシンプルで、経営スピードが速い。」
その二つの企業が「大成功」しているという。天才的な才能をもった経営者が独裁的権限をふるい、自分の感性と創造力を発揮して強烈なトップダウンの経営を行ったことが成功の要因だという。記事は「独裁」を肯定的な文脈で使っている。
しかし企業の成功は何ではかられるのであろうか。一時の企業利益でしょうか。
ジョブス氏は従業員に対して専制的な態度をとったが、消費者に対しても同じではなかったのか。
私はiPhoneもiPadも使っているが、どちらもパソコンなしでは使えないものだ。USB接続もできず、SDカードも使えない。Flash Playerも使えない。なぜなのか。ユーザーの声を聴かずにジョブス氏の趣味で製品をつくっていたのではないか。有力なライバルがなかったからヒットしただけではないか。もしもジョブス氏があと10年存命されたとしてもアップルの天下が続いたとは私には思えない。それを確かめたかった。
朝日の記事は続ける
「日米を代表する好調2社が創業者による強烈なトップダウン型であるのは、多くの日本企業の停滞を考えると示唆に富む。とはいえ、日本メーカーに限らず、アップル型をほかに求めるのもほとんど不可能だろう。独裁的な企業統治は可能でも、トップが世界的なヒットを立て続けに出せるセンスをもっている可能性はほとんどないからだ。」
ジョブスや柳井正のような天才が「独裁」をするのはいいが、そんな天才はあまり出ないというのである。本当に天才なら「独裁」をしてもいいのだろうか。
絶対に間違いをしない天才はいるのか。
年をとり肉体的、思考的衰え、そして死を迎えない天才はいるのか。
時とともに環境が移り過去の栄光ある経験が通じない時がこない天才はいるのか。
次代をになう天才を育てることができる独裁者はいるのか。
少なくともみんなが共通して思うのは、ジョブス亡き後のアップルはまもなく凋落するだろうということである。そうなればアップル製品を使ってきた消費者も、出資した株主も、そして従業員も困ることになる。「独裁経営者」は称賛されるべき経営者ではない。
企業経営者でそうである。独裁政治家は論外である。国民の利益にそう、いい独裁政治家などあるわけがない。「独裁」を肯定的文脈で使うのは慎みたい。
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