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2012年7月22日日曜日

橋下徹流いじめ克服術 強いものについていきうまく「世渡り」しろ


いじめ問題がみんなの関心になっている。身近にいる子供にどのようにアドバイスすればいいのかみんな悩んでいる。もし子供がいじめられていたら、それとももし子供がいじめる側だったら、大人としてどうすればいいのか。

「毎日、毎日、僕はみんなになにかしら因縁をつけられていました。」と告白する大阪市長橋下徹氏。彼の著書「どうして君は友だちがいないのかは」(河出書房新社)は一読に値する本だ。この本を読むとどうして学校を含めて今の世の中がいじめ社会になっているかがよくわかる。

彼は言う。いじめはつきものだ。学校生活は一時的なものだ。もし自分がいじめられたら、「下手にもがかないこと。これが一番です。」暴力をふるわれて金をせびられるというケースは別。我慢をしては絶対にいけない。いじめなんかで悩まないで、強いグループに入っていじめる側に回ってうまく「世渡り」すればいいのだ。「だいたい、先生が口を出していじめが改善するケースなど、ほとんどありません。」

いじめられていた「僕が選んだのは、強いものについていく方法でした。」=年上の中学生グループに入る。「そのときの僕は、彼らにとってたしかにパシリだったと思います。」=ドラエモンのスネ夫のような生き方だ。「力関係を利用するなんて卑怯なやりかただ、なんて思い込みをまず捨ててみませんか。」まず強いやつを探すこと。「力関係を拒否したり、目をそむけたりしないで、そのヒエラルキーのなかに組み込まれる」それでいいのだ。

「自分の位置や他人との関係やヒエラルキーを守るために、いじめてしまうのはある程度、しかたがない。」しかし、いじめには加わる自分の姿を自覚することが大切。「自分が可愛いから、自分を守りたいという理由のために、いじめたり無視する道を選んでしまったのだということを見つめ、受け止めてもらいたい」彼はいじめに加わることを是認している。

つまり彼はいじめなんかなくならない、いじめられたら自分も別の強いグループに入りいじめる側に回ればいいとアドバイスしている。


いじめなんかなくならない。自分がいじめられないために、いじめる側に回る・知らんふりをする。学校生活なんて所詮一時的なものだ。しかし彼のアドバイスはいじめの解決法ではなく、今のいじめの構造の根幹をつくるものではないか。

彼はいじめられて自殺しそうな、「世渡り」が下手な子供にはこうアドバイスしている。「ただし、どうしても耐えられない、自殺でもした方がましだ、考えるところまで来ているならば、そんな学校はいかない、転校する、という選択もしてみてください。」命はいつも、優先順位一番だ。これはこのとおりだ。しかし自殺以外の選択ができなくなっているので悩んでいるのだ。誰に相談すればいいのか。同級生が自分を守るために強いものの顔を窺っていたらどうなるのだ。彼は先生をあてにするなと言い切る。橋下氏に教育委員会を指導する資格はない。

橋下氏と違ってほとんどの人にとっては学校生活も社会生活も一時的な仮のものではない。だから死ぬほど苦しんでいるのだ。学校でも社会でも強いもの顔を窺いそれに従う「世渡り」ではなく、弱いものに想いをはせ助け合うそんな生き方が必要ではないか。そうしなければお互い傷つけあうばかりだ。いじめの構造を強めるのではなく、克服することが必要だ。

橋下氏は本当に確かなものは、家族だという。「大人にはずっと変わらず損得抜きで並列の関係(もちろん親子としての上下関係はありますよ)でいられる人を自主的につくることができる。それが家族なのです。」家族がいれば寂しくない。それは本心なのだろう。そうであれば彼にも彼の家族にもまだ救いがある。そうあってほしい。そうでなければほんとうに寂しい。

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