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2012年4月30日月曜日

佐藤優氏が橋下徹氏にファシズムの危険がないと断じたのは早計である


作家佐藤優氏が橋下徹氏は「新自由主義の拡大であり『ファッショ化』の危険はない」と断定した。(SAPIO 201259日・16日合併号)
本当にファシズムの危険はないのか。

氏はファシズムを
1、束ねられる同胞、とくに社会的弱者には優しい。逆に、束ねられる対象から外れた人々には冷淡だ。
2、常に「戦闘の精神」を強調するので、排外主義的な外交政策を取りやすい。
と特徴づけた。
そして、氏は「現時点までの橋下氏の政治的手法を見る限り、社会的弱者に対する優しさ、排外主義の両要素が欠如している。」(SAPIO)としてファシズムの危険性はないと結論づけた。


ファシズムの定義が確定していないが、以下の定義が最大公約数だろう。
 1、国家独占資本主義の一形態
 2、民主主義の否定 独裁と暴力
 3、排外主義 戦争 他民族の抑圧
 4、扇動と洗脳による大衆の動員

佐藤氏が言うように橋下氏の経済政策は「1980年以来の市場原理主義(新自由主義)政策の拡大に過ぎない。」私も同じ意見だ。しかし、小さな政府を目指している橋下氏がベイエリア開発や高速道路建設、リニアも含めた鉄道の新設など私企業の活躍のために従来型大型公共投資を進めていることも事実である。国政に出てもその路線は変わらない。

民主主義の否定は、橋下氏が自ら「日本の政治で重要なのは独裁」と発言していることからも明らかである。橋下氏は普通選挙については否定していないが、いったん選挙で選ばれれば当選者が民意を代表するとして選挙時の反対票や、議会での少数反対派を無視している。さすがに現在のところ暴力を行使してはいないが維新の会所属の議員の中には自民党時代から右翼グループに属するものがいる。佐藤氏も昨年の大阪同時選挙について「民主主義を否定する『独裁』なる手法が提示された、日本の今後を大きく左右する選挙です。」(20111013日 朝日夕刊)と述べていた。この氏の見解は変更されたのか。

この間の教育における君が代強制問題は現在のところ、法で定められた国歌を歌うべしという職務命令に従うかどうかが問題にされている。右派勢力が勢いづいて後押ししている。教育を政治が支配する発想は、佐藤氏が言うように「国家にとって『いざというとき国のために死んでくれる国民』『きちんと働いて税金を納める国民』を育てることが教育の究極の目的」(20120201日 朝日朝刊)になってくる可能性がある。東アジアでの中国・韓国の存在が単純に排外主義を許す状況にはない。しかし小泉元首相が新自由主義と排外主義という異質なもの併せ持ったように、右派の後押しで排外主義を顕在化させる可能性はある。君が代強制に踏み込んだことがその端緒である。佐藤氏は君が代強制問題をどう見ているのか。

大衆動員は橋下氏の独壇場である。佐藤氏は「民意を正確かつ瞬時につかむことのできる橋下」(SAPIO)と評価している。小泉に切り捨てられたワーキングプア層が派遣村に結集する社会的事件があった。それが新自由主義批判、民主党政権誕生へつながった。小泉氏とは出身階層のまったく異なる橋下氏が、既得権益享受者攻撃をして再びワーキングプア層を含めた社会的弱者の支持を獲得している。確かに橋下氏には「社会的弱者に対する優しさはない」(SAPIO)のであるが、彼らの不満の代弁者として偽りの支持を受けている。昨年10月時点では佐藤氏も、橋下氏は「小泉純一郎元首相にはなかった社会的弱者への共感も持ち合わせる。」20111013日 朝日夕刊)それはムソリーニらにも共通すると述べていた。佐藤氏はこの評価を修正している。説明してもらいたい。橋下氏は大衆にやさしくはないが、大衆の味方だと思わせる幻術をもっている。

佐藤氏が橋下氏にファシズムの危険がないと断ずるのは早計である。橋下氏の台頭で、一旦弱まった、新自由主義の流れも、九条改憲の流れも強まっている。ポピュリズムに支配された直接選挙による大統領制の可能性も出てきている。閉塞感の充満する現状への不満も高まっている。ファシズムの危険は十分にあると言わなければならない。    

弾道ミサイル・核開発に対する二重基準を克服し、核廃絶を実現しよう


今月、北朝鮮・インド・パキスタンと弾道ミサイル実験が続き不安が高まっている。また北朝鮮、そしてイランが核実験を準備している。核戦争の危機を回避するために、核保有国がとる二重基準(=自分たちの核保有・弾道ミサイルの保有は認めるが他国の保有は認めない)を克服し核廃絶に向かう必要がある。

4月13日北朝鮮は「ロケット」発射実験をおこなった。これは北朝鮮のロケット・弾道ミサイル開発禁止を決議した国連安全保障理事会決議1874号(0912月)違反であり。東アジアの緊張を高めるものだ。各国各方面の批判が集中するのは当然である。

また419日インド、25日パキスタンが弾道ミサイル実験を行った。これに対してはアメリカ、日本をはじめどの国の政府も批判していない。両国は134各国が批准している「弾道ミサイルの拡散に立ち向かうためのハーグ行動規範」を批准していない。両国の弾道ミサイル実験はどの国際法・決議に違反するわけではない。しかし国際緊張をたかめたことは事実である。さらに両国は核拡散防止条約(NPT)にも加盟しておらず、NPTに反してイスラエルとともに核兵器を保有している。米英露仏中の核兵器国はこれを容認している。

北朝鮮の朝鮮中央通信はアメリカがインド・パキスタンに弾道ミサイル実験を容認したことを二重基準として批判した。北朝鮮が他国のミサイル実験を持ち出して、自国の行為を正当化するのは間違っている。どの国がおこなうのであれ弾道ミサイル実験さらに核開発は核戦争の危機を増大させる。非難されるべきものだ。

二重基準は破綻している。米英露仏中の核兵器国だけに核保有を認め他国には認めないというNPT体制は、インド・パキスタン・イスラエルの三国の核保有を認めた時点で破綻している。三国に続き北朝鮮・イランが核開発を進めていることにも有効な手が打てていない。このままでは核拡散はさらにすすむ。

今するべきことは破綻した二重基準を克服し、核廃絶に進むことである。北朝鮮の動向に不安を持ち、広島・長崎・福島を経験した日本こそその実現の先頭に立つべきである。日本政府はその立場を明確にして北朝鮮との交渉にあたるべきだ。

2012年4月27日金曜日

橋下氏はなぜ脱原発の主張をするのか 4月26日朝日新聞「橋下氏の『脱原発』、関電や民主党への反発」を読んで


橋下徹大阪市長がなぜ従来の「脱原発依存」の主張を変え、脱原発の主張をしているのか。     
非常に興味がある。元々饒舌な橋下氏であるがこの点についてはいまだに語っていない。426日の朝日新聞朝刊は桜井林太郎記者の署名入りで「橋下氏の『脱原発』、関電や民主党への反発」の表題で記事を載せている。

記事はまず「もちろん、根っからの脱原発ではなく、当初は再稼働反対までは考えていなかった。」と、彼は脱原発でも再稼働反対でもなかったと指摘している。これは昨年3月以来の彼のブログを読んでも明らかだ。原発は当面必要で他のエネルギーの開発をすすめ原発への依存度を下げると主張していた。

それが現在のような再稼働反対・脱原発の主張をするようになったのは以下の理由だとしている。
1、電力問題は国政の問題で、一知事が口を出すなと関電が言ったことに反発した。
2、電力会社は既得権益の固まりだから嫌い。
3、脱原発は、橋下氏が掲げる地域主権の考えにも合う。
4、野田政権が原子力規制の「最高権威」ともいえる原子力安全委員会に安全性の意見を求める手続きをしなかった。
5、本当の狙いは(選挙に向けた)ポピュリズム的要素もある。

原発問題の本質とは無関係な理由ばかりだ。1、感情の問題。かつ地域主権の問題。2は新自由主義の考え方。3は地域主権。4は手続き問題。5は彼が脱原発を求める国民の意思の強さを読んだということ、言い換えれば国民が彼に脱原発を言わせたということだ。


彼はどんな手続きで国が決めるのか地方が決めるのかということを重視している。彼は以前、エネルギー問題は国政レベルの問題と言っていた。だから「手続きを踏めば、「『合格点じゃないけれども、ここまでの安全は確保している。あとは関西にこれだけの電気が足りないから、政治的決断をした』というならね、僕はそういった政治のあり方は是としますよ」(朝日)などと言えるのであろう。橋下氏には脱原発の確信などないから彼なりの詭弁でいつ方針転換するかもしれない。


記事はこう結んでいる。「今後もブレないで、訴え続けられるか。『豹変(ひょうへん)』すれば、今度は多くの人が橋下氏に失望すると思う。」

橋下氏がどう主張しようとも、どう豹変しようとも、日本の脱原発を実現したいと考えている。日本が脱原発を実現することは世界史的意義のあることだ。だから脱原発の運動を盛り上げ、ポピュリスト橋下徹氏が「豹変」できない状況をつくりたい。彼が脱原発の主張を継続し、支持が伸びることになるとしても脱原発は実現したい。

しかし橋下氏の原発についての主張がどんなものであれ、彼の新自由主義的政策に反対する。私は橋下徹氏が支持を伸ばすことは望まないし絶対に阻止したいと考える。


2012年4月26日木曜日

原発銀座福井の海岸に立って原発再稼動問題を考えよう


西川福井県知事は「立地地域の果たしてきた努力や貢献が必ずしも理解されていない」と繰り返し表明されている。福島原発事故が福井で事故がおこれば影響が近畿にも及ぶことを明確になった。だからといってリスクを福井県に押し付けながらこれまで電力を消費してきた近畿が手のひらを返すように再稼動に反対するというのは心情的に受け入れがたいということだ。

知事は基本的には原子力発電継続、再稼動推進の立場である。しかし「努力や貢献が必ずしも理解されていない」との思いは、知事のみならず原発立地県の住民のいつわらざる思いではないか。立地県の現状の困難を理解し、その解決に貢献することが再稼動阻止・脱原発へすすむために必要だ。

福井原発の発電した電力は福井県民ではなく、近畿2府4県民が消費してきた。40年間福井県民は原発事故の危険と隣りあわせで生活してきた。40年間の原発稼動は広島型原爆40万発分の放射性廃棄物を作り出した。その廃棄物の処分法もないまま蓄積されている。そして原発の40年間は福井の労働と経済が原発マネーに深く組み込み、原発が嫌でも簡単に反対とは言えない状況を生みだした。原発再稼動が「遅れている」だけでも福井県民の生活を困難している。それは事実だ。集会の後小浜市街をデモしたが、日曜日の午後にもかかわらずしまっている店が多く、驚いた。原発を押付けられてきた地域が抱える問題の深刻さを痛感した。

福井県民の直面する困難を理解し、その解決へむけ力を合わせなければならない。再稼動反対・脱原発のスローガンだけではなく、福井の雇用と経済の再生へ向けたプラン作りと実践をすすめる必要がある。そのためには、近畿と福井の住民の相互理解が必要だろう。まずはじめの第一歩は近畿のから福井に出かけ、原発を自分の目で見ながら福井の人々の声を聞くことだ。そして40年間リスクを押し付けながら電力を利用してきたことについて謝罪をすることが必要だ。

2012年4月18日水曜日

橋下徹氏は本当に脱原発に変わったのか


   民主党政府は、大飯原発再稼働へ大きく一歩を踏み出しだした。しかし政府はなぜ再稼働が必要なのか、再稼働が安全なのか説明しきれていない。

そのなかで橋下徹大阪市長が、大飯原発再稼働反対の主張を展開しマスコミが大々的に報道している。大阪府市のエネルギー戦略会議は現時点での再稼働反対、可及的速やかに全ての原子力発電所廃止を打ち出している。
私は脱原発が福島事故を経験した日本国民の願いであり必ず実現したいと考えている。新自由主義・反民主主義の橋下維新とは政治的立場がまったく相容れないが、脱原発の一点で一致するなら、原発問題での橋下氏の動きを支持したいと考えている。
しかしもともと「脱原発依存」を主張していた橋下氏がなぜ、いつ可及的速やかな原発廃止=脱原発の立場に転換したのかの説明していない。饒舌な橋下氏がこの点については一切語っていない。
 逆に415日付のツイッターで彼は「僕の電力供給体制の変革についての考え方もまとめている。明日明後日に原発を0にすることなど考えていない。短期・中長期に分けている。産業基盤に影響を与えないよう、中長期的にどのように変えて行くか。」と書いている。これは彼が言ってきた短期・中長期には原発を温存するという「脱原発依存」論ではないか。
 エネルギー戦略会議も「原子力発電所が廃止されるまでの間においては、真に需要が供給を上回ることが確実となる場合においてのみ、必要最低限の能力、期間について原子力発電所の安定的稼働を検討する。」としている。つまり電力不足に備えて原発を維持し、電力が不足すれば、「絶対的安全性」が確保されなくても再稼働する。そのために原発をスタンバイしておくとしている。
 橋下氏は「明日明後日に原発を0」にしないのならば、何時までに原発を0にするのかを明確にしなければならない。
 橋下氏が原発再稼働反対を語る時、私はいつもみんなの党の渡辺氏が消費税増税反対を語る姿が重なって見える。渡辺氏は消費税を上げる前にすることがあるという。選挙を有利にするための、政局のための主張である。橋下氏も総選挙をにらんだ政治的パフォーマンスの匂いがする。
 脱原発を進めるためには、再稼働停止するだけではなく、廃炉・使用済み核燃料の最終処理作業をすすめなければならない。この点での国民的討議・合意の形成が必要だ。全原発廃炉へ運動をすすめたい。橋下氏は維新の全廃炉タイムテーブルのついたロードマップを提示してほしい。
橋下氏はここで指摘した問題にこたえるべきである。今後の橋下氏の原発問題での言動に注意したい。

2012年4月15日日曜日

大往生するために医療と適切にかかわろう 「大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ」(中村仁一 幻灯舎新書)を読んで


   医師という仕事をしているので死という事に関心があり読んでみた。「自然死」についての経験が深い著者の意見は傾聴に値する。とくに「自然死」をいわゆる「餓死」と断定し脳内麻薬がでて苦しいものではないとする著者の意見は参考になる。


この本の主題は、「『老い』には寄り添ってこだわらず、『病』には寄り添ってとらわれず、『健康』には振り回されず、『死』には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけることが大切です」だ。同意できる。この著者は医療の「限定利用」を主張しているのであって表題の「医療とかかわるな」と主張しているのではない。表題は誤解を生むものだ。

著者は死を次のようにとらえている。釈迦の「人生は『苦』であると明らめよ」という言葉に学び、「生、老、病、死が『苦』で、人間の思い通りにならないもの」「『老』『病』『死』は自分で引き受けるしかないと思っています」

では人生の折り返し点、閉経・還暦・退職を終えた高齢者がどう生き、どう医療とかかわればいいのでしょうか。それを知りたい。

 著者の言う「あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、これが年寄りの楽に生きる王道だと思います」医療の限定利用とは、どんなものでしょうか。

 こう書かれている。
「少々のことでは医者にかからず、自分で様子をみることです。」「これはふつうじゃない、様子をみていてはよくない、医者へいった方がいい、という例外のケースがわかるようになります。」「もちろん、症状軽減のため、医療を利用するのはいいでしょう」

 この主張が医療費削減の口実につかわれ、適切な受診が妨げられることを危惧する。著者は医療をうけるなと言っているのではなく、適切に利用しろと言っている。なにが適切利用かを明らかにすることが課題だ。まず人間の老いと死についての、医師と国民の認識の深まりがすすむことが必要だ。

高血圧治療が脳出血の発症を減らしたことも、心筋梗塞や脳梗塞の救急治療が患者を元通りの生活に戻していることも事実である。その他、現代医療が人々の幸せに貢献している事実は挙げればきりがない。このことを無視してはいけない。もちろん著者が言うように、「『死』という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです」これもあたっている。だからこそ、いまこそ医療も「死」というテーマに真剣に向き合うことが必要だと考える。

著者が言うように動物なら繁殖を終えると死んでいくだが、人間は文明のおかげで長生きできるようになった。「年寄りの最後の大事な役割は、できるだけ自然に『死んでみせる』ことです」のもそのとおりだ。しかし早く死ねばいいわけではない。健やかに長く生きる意義はある。長生きを喜び、感謝しながら生きていきたい。そして「自然」に死にたい。それに医療も貢献できることはある。

2012年4月11日水曜日

「おくりびと」としての医師


木田(仮名)さんが亡くなった。以前から尊厳死を希望されていた。2年前から便に血が混ざり検査をすすめていた。同意されなかった。「十分生きてきました」が口癖だった。最後まで「家族に負担になっていないか」と気遣いをされていた。亡くなる2日前に木田さんが育ててこられた庭の菜の花の写真を見せた時、手を強く握られた。その感触が残っている。

患者さんを診断・治療し最大限の健康をめざすのが医師の仕事だ。誰もがさけられない「死」をどのように迎えるのかも大切な問題だ。患者さんの声に耳を傾けながら苦痛なく満足して逝けるようにするのも医師の重要な仕事だ。しかし残念ながら医師は「おくりびと」の仕事になれていない。「死」という言葉を口にすることすらためらいがある。

日本老年医学会はすべての人は、人生の最終局面である「死」を迎える際に、個々の価値観や思想・信条・信仰を十分に尊重した「最善の医療およびケア」を受ける権利を有すると宣言している。「最善の医療およびケア」である。

「終末期の患者をケアすることは、患者に対する最後の診療であると同時に、わたしたち医師たちにとっての最終試験でもある」(人はいつか死ぬものだから ポーリーン・チェン 河出書房新社)日々研鑽したい。

2012年4月6日金曜日

野田政権は原発再稼動を強行するな


新聞報道によると
 「野田政権は5日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させる条件となる安全対策の暫定基準案の骨子を了承した。全電源喪失の防止策などに加え、電力会社にも安全対策の実施計画を示すよう求める内容だ。6日の関係閣僚会合で正式に決定する。」(4月6日朝日新聞)政府は原発を再稼動させる意向だ。
  
 しかし多くの国民は原発再稼動に反対している。
が実施した全国世論調査で、「政府が準備を進めている関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働に『賛成』と答えた人は33%にとどまり、『反対』の62%を大きく下回った。」(4月2日毎日新聞)

にもかかわらず政府は原発再稼動に一気に進めようとしている。「再稼働に必要な『地元の理解』について、藤村官房長官は5日の会見で『法律などの枠組みで同意などが義務づけられているわけではない。政府が判断する』と指摘。」(4月6日)再稼動に、「地元」や国民の理解は必要なく、政府の責任で進めるというのだ。

昨年の大震災・津波・原発事故を経験した日本国民が心をひとつにして復興と再建を進めようとしているときに、国民の大多数の反対を押し切って政府の責任で原発再稼動を進めることは蛮行といわざるを得ない。

原発についていろいろな意見があるのは事実である。もっと時間をかけた議論が必要だ。しかし、今の時点でなぜ原発を再稼動する必要があるのか、政府の暫定基準が妥当なものであるのかの議論をする必要がある。

しかし、今年の夏の「電力不足」時期が目前に迫っている。野田政権がするべきことは原発についての国民的議論をすすめながら、今夏の電力対策の方針を政府の「責任」で早急に策定し国民の理解と協力を求めることだ。政府と与党民主党の原発再稼動について再考を要求する。