作家佐藤優氏が橋下徹氏は「新自由主義の拡大であり『ファッショ化』の危険はない」と断定した。(SAPIO 2012年5月9日・16日合併号)
本当にファシズムの危険はないのか。
本当にファシズムの危険はないのか。
氏はファシズムを
1、束ねられる同胞、とくに社会的弱者には優しい。逆に、束ねられる対象から外れた人々には冷淡だ。
2、常に「戦闘の精神」を強調するので、排外主義的な外交政策を取りやすい。
と特徴づけた。
そして、氏は「現時点までの橋下氏の政治的手法を見る限り、社会的弱者に対する優しさ、排外主義の両要素が欠如している。」(SAPIO)としてファシズムの危険性はないと結論づけた。
ファシズムの定義が確定していないが、以下の定義が最大公約数だろう。
1、国家独占資本主義の一形態
2、民主主義の否定 独裁と暴力
3、排外主義 戦争 他民族の抑圧
4、扇動と洗脳による大衆の動員
佐藤氏が言うように橋下氏の経済政策は「1980年以来の市場原理主義(新自由主義)政策の拡大に過ぎない。」私も同じ意見だ。しかし、小さな政府を目指している橋下氏がベイエリア開発や高速道路建設、リニアも含めた鉄道の新設など私企業の活躍のために従来型大型公共投資を進めていることも事実である。国政に出てもその路線は変わらない。
民主主義の否定は、橋下氏が自ら「日本の政治で重要なのは独裁」と発言していることからも明らかである。橋下氏は普通選挙については否定していないが、いったん選挙で選ばれれば当選者が民意を代表するとして選挙時の反対票や、議会での少数反対派を無視している。さすがに現在のところ暴力を行使してはいないが維新の会所属の議員の中には自民党時代から右翼グループに属するものがいる。佐藤氏も昨年の大阪同時選挙について「民主主義を否定する『独裁』なる手法が提示された、日本の今後を大きく左右する選挙です。」(2011年10月13日 朝日夕刊)と述べていた。この氏の見解は変更されたのか。
この間の教育における君が代強制問題は現在のところ、法で定められた国歌を歌うべしという職務命令に従うかどうかが問題にされている。右派勢力が勢いづいて後押ししている。教育を政治が支配する発想は、佐藤氏が言うように「国家にとって『いざというとき国のために死んでくれる国民』『きちんと働いて税金を納める国民』を育てることが教育の究極の目的」(2012年02月01日 朝日朝刊)になってくる可能性がある。東アジアでの中国・韓国の存在が単純に排外主義を許す状況にはない。しかし小泉元首相が新自由主義と排外主義という異質なもの併せ持ったように、右派の後押しで排外主義を顕在化させる可能性はある。君が代強制に踏み込んだことがその端緒である。佐藤氏は君が代強制問題をどう見ているのか。
大衆動員は橋下氏の独壇場である。佐藤氏は「民意を正確かつ瞬時につかむことのできる橋下」(SAPIO)と評価している。小泉に切り捨てられたワーキングプア層が派遣村に結集する社会的事件があった。それが新自由主義批判、民主党政権誕生へつながった。小泉氏とは出身階層のまったく異なる橋下氏が、既得権益享受者攻撃をして再びワーキングプア層を含めた社会的弱者の支持を獲得している。確かに橋下氏には「社会的弱者に対する優しさはない」(SAPIO)のであるが、彼らの不満の代弁者として偽りの支持を受けている。昨年10月時点では佐藤氏も、橋下氏は「小泉純一郎元首相にはなかった社会的弱者への共感も持ち合わせる。」(2011年10月13日 朝日夕刊)それはムソリーニらにも共通すると述べていた。佐藤氏はこの評価を修正している。説明してもらいたい。橋下氏は大衆にやさしくはないが、大衆の味方だと思わせる幻術をもっている。
佐藤氏が橋下氏にファシズムの危険がないと断ずるのは早計である。橋下氏の台頭で、一旦弱まった、新自由主義の流れも、九条改憲の流れも強まっている。ポピュリズムに支配された直接選挙による大統領制の可能性も出てきている。閉塞感の充満する現状への不満も高まっている。ファシズムの危険は十分にあると言わなければならない。