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2012年5月31日木曜日

橋下徹大阪市長と関西広域連合が大飯原発再稼働を容認したことを歴史の事実として記憶しよう


原発稼働ゼロが約一か月継続した。政府財界は原発再稼働へ必死に進めようとしている。一方、世論調査では再稼働反対が多数を占めている。橋下徹大阪市長と関西広域連合が大飯原発再稼働反対の見解を表明していた。事実上、関西の自治体首長が賛成しないと福井県知事も野田首相も再稼働ゴーの決定ができず、ここまで来ていた。そのような情勢の下で、元々新自由主義の立場に立ち、大企業の利益確保を至上目標にしている橋下氏とその影響を強く受ける関西広域連合が、どのような理由づけで大飯原発再稼働に同意するのかが注目されていた。

とうとう5月30日関西広域連合は事実上再稼働容認の見解を発表した。
「暫定的な安全判断であることを前提に、限定的なものとして適切な判断をされるよう強く求める」
「暫定的な安全判断」だから「限定的なものとして適切な判断」してほしいと言うのである。「限定的」とは夏だけとか、大飯原発だけのようである。
「なぜ」そう判断したのかが明確でない。
続いて翌31日橋下氏は「(電力不足を)乗り切る必要があるなら、(略)僕は容認と考えている」と述べた。電力が不足するから再稼働を容認すると言うのである。

まとめると橋下氏と広域連合の見解はこうである。
    安全基準は暫定のもの(必要十分なものではない)
    この夏電力が不足する
    大飯原発の再稼働限定的容認

安全基準が十分なものでなく、また大飯原発の安全対策が終了していないことは明らかである。私は橋下氏と関西広域連合は以下の点について答える必要があると考える。

    政府と関電の「電力不足」と言う見解を了承するのか。
橋下氏はピークカットで乗り越えられるという考えではなかったのか。特別顧問の飯田哲也氏の「電力は足りる」という主張を否定するのか。
橋下氏と広域連合はこの夏の電力需給についての自らの見解を語るべきである。

    電力が「不足」すれば原発を稼働していいのか。
原発がいったん事故を起こすと簡単にコントロールできず大惨事を起こすことは周知の事実である。また原発の操業が多量の放射性廃棄物を生み出す。それの安全な処理法も確立していない。橋下氏は、放射性廃棄物は未来への罪といっていたのではなかったのか。利益や安楽のために、立地県と未来の人々の足を踏みつけるような不公正なことを再びすることは間違いである。

    もし政府の判断が「限定的」再稼働でないなら再稼働に反対するのか
夏だけの稼働と言うことはありえないと枝野経済産業大臣が明言している。大飯原発再稼働を呼び水に他の原発の再稼働も計画されている。再稼働が「限定的」であることはありえない。
橋下氏と広域連合は「限定的」再稼働を申し入れを政府が無視したという事実だけを残したいのか。限定的再稼働が確約されなければ大飯再稼働に反対すると言う見解を表明するべきである。

ツイッター依存症の橋下徹氏。5月に入って原発については発言しなくなっている。4月はのべ16日90回原発をツイート。5月は30日現在のべ4日21回。5月12日以降は原発について完黙している。脱原発依存から脱原発に主張を変えた時も説明がなかった。脱原発から稼働容認に主張を変えてもツイッターでは知らん顔の半兵衛だ。説明責任を果たせない政治家は失格だ。自分の言葉に責任を持てないものは閻魔に舌を抜かれる。橋下徹大阪市長と関西広域連合が大飯原発再稼働を容認したことを歴史の事実として記憶しよう。

2012年5月27日日曜日

片山さつき、世耕弘成両議員は河本準一に「情けなくて恥ずかしい気持ち」と言わせて満足だろう。しかし生活保護の必要な人が排除されるような状況はつくってはならない


河本準一の母親の生活保護受給問題が話題を呼んでいる。私はこの事例が生活保護の正当な利用を妨げることに使われることを危惧する。07年の北海道滝川市で起きた移送費騙し取り事件がきっかけで生活保護受給・移送費受給が困難になった事例が多発したことは記憶に新しい。


今回の事例は人気タレントである河本準一の母親が河本の無名時代に生活保護受給を始め、人気タレントになった以降も受給を続けてきた。これを週刊誌、自民党の片山さつき、世耕弘成両議員がブログでとりあげ社会的問題となり。5月25日河本の謝罪会見が行われ標記発言となった。


私は、自分に十分な収入があり、親が困窮しているのであれば、親に金銭を含めた扶助をするのは自然なことと思う。また法に親族からの扶養が優先するとされている以上、行政が適正な指導をするのは当然である。彼が扶養の必要を認めて遡って措置費を返還するのも歓迎する。


しかし報道によると河本は謝罪会見で次のように発言している。
 -母親が生活保護というのはどんな気持ち
 「正直なところを話すと、情けなくて恥ずかしい気持ちです。母親が生活保護を受けているということは、誰にも知られたくなかったですし、世間の方には分からないように明るく振る舞うことが自分の仕事だと思っていた。早く抜けさせなければ、という思いで仕事をしていた」と。


河本は生活保護を受給することが、本人やその家族に「誰にも知られたく」ない「情けなくて恥ずかしい」と言わされた。河本事例によって、生活保護を受給すれば本人や家族が今回のケースのように社会的バッシングを受ける危険を覚悟しなければならない雰囲気ができてしまった。


片山さつき議員はブログでこう書いている。
「生活保護の適正化」にも焦点が当たっており、「正直者が報われる社会」にしていく上で、「生活保護は、本当に困窮している方にはしっかり届き、頑張れば働ける、あるいは本来養ってくれるべき近い親等の親族がいる場合には支給しない。」が「大原則でしょう。そこまで払っていたら、消費税などいくらあっても足りない世界になりかねない」という批判が出てくるのは当然です


しかし「生活保護は、本当に困窮している方にはしっかり届」いているのであろうか。05年から07年北九州市で生活保護が受け付けられなかったり・廃止されたりで餓死者が連続したでたことを忘れてはならない。09年にも三重県津市でもそして北九州市でも生保がらみで餓死者が出ている。日本は生活保護が受けやすい国ではない。河本事例がさらに生活保護を受けにくくすることを危惧する。


また片山議員は「本来養ってくれるべき近い親等の親族がいる場合には支給しない」というが、だれをさして「本来養ってくれるべき近い親等の親族」と言うのかが問題である。数千万円の年収があればそう呼ぶのも納得できるが、一般的所得の子どもを安易にそうは決めつけられないのではないか。家族がいれば家族に扶養してもらえとなると、生活保護を希望して福祉事務所を訪れても窓口で生活保護の申請書すらもらえない事態が頻発すると思う。また十分な援助はできないが、生活保護申請は控えるようにと老親に言う子どもがでてくるだろう。


片山さつき、世耕弘成両議員は河本準一に「情けなくて恥ずかしい気持ち」と言わせて満足だろう。しかし、両議員は日本憲法25条を持つ国であることを忘れてはいけない。


第二五条【生存権、国の社会的使命】
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


貧困で稼働能力のないことは本人や家族の責任ではない。今回の事例をきっかけに生活保護が必要な人やその家族が生活保護受給申請をためらう状況をつくってはならない。また親族の扶養優先を理由に生活保護申請を窓口で排除することを起こしてはならない。

2012年5月20日日曜日

[創作]息子夫婦が孫を連れて沖縄に移住してしまいました


5月14日の夜、議会の全員協議会が終わり家に帰ると、玄関で嫁が待っていた。
嫁は「どうでした」と聞いた。
私は「再稼働同意が決まった」と答えた。
「それで義父さんは」
「賛成したよ。反対は共産党の猿橋さんだけだ」
嫁は悲しそうな顔をして、「どうしてお義父さんまで・・。事故時の避難路も確保できていないし、免震等の建設もまだで、再稼働は問題だとおっしゃっていたではないですか」
「このまま原発停止が長引けば町民の生活がなりたたず、首くくりが出る。そんな段階なんだ。しかたがないんだ」
「そうですか・・・」そう言って嫁は、自分たちの離れに戻っていった。

全員協議会で猿橋さんは「住民の不安は福島原発事故を見た現実から出たものだ。まともな事故の原因究明も安全対策も避難計画も規制機関もなく、再稼働が認められないのは明らかだ」とはっきり発言した。私もその発言を聞いて心では「そうだ、そうだ」と叫んでいた。だいたい議員で積極に賛成なのは、関電ひもつきの二人だけだ。ほかの議員は本心では再稼働させたくない。他人が使う電気のために危険な原発を再稼働させたいと思うわけがない。ただただ生活のためだ。

全員協議会の前日13日。幼なじみで旅館の経営の高橋が訪ねてきた。青い顔をして「もうあかん。俺は破産する。去年の12月に2号機がとまり、大飯原発稼働ゼロになって以来。客がぜんぜんこん。これ以上、再稼働が遅れれば。一家心中せなあかん。原発が危険なのはわかっているが背に腹は代えられん。ぜひ賛成してくれ」畳に額を押し付けて懇願した。そんな高橋の姿を見るのは初めてだった。旅館は原発関係者の客でもっていたのだ。

全員協議会の翌日から私のところにも抗議メールがたくさんきた。中には「人殺し」とか「関電の犬」とかという激しいものもある。これまで我々に危険な原発を押し付け、電気を湯水のように使ってきた関西の人たちが、福島の事態を見て今度事故が福井で起これば自分たちに危害が及ぶと、「原発ゼロ」をぬけぬけと叫ぶのは納得できない。あまりにも身勝手ではないか。町民の苦しみをどれだけ理解しているのか。悔しい。

今日5月20日、息子夫婦と2歳の孫の京子そして私の連れ合いの雅子が沖縄に行った。「関電と距離をとって原発の温排水問題でも関電と交渉をしていたお父さんまでが賛成するのだから福井はもうだめと思う。京子の安全が一番です」と言い残して出て行った。

淋しい。帰ってきてほしい。そのためには再稼働をとめなくては。廃炉と雇用の問題を同時に解決するしかない。

猿橋さんは「財政問題も安全が前提とならないと議論にならない。原発が止まっても、廃炉作業があり、雇用はゼロにはならない」と言っていた。彼と相談してみよう。関西にも出かけて行って、原発立地地域の苦しみを理解してもらい支援してもらおう。

京子にもう一度会える日まで頑張りたい。

夏の電力「不足」を、原発再稼働なしに乗り切ることは可能である


大阪市長の橋下徹氏は大飯原発の夏だけの再稼働に言及したと報道されている。:日本経済新聞 http://s.nikkei.com/KnFOww
 なぜ再稼働を容認するのか。電力不足が理由である。政府の提起した10年比15%度の節電は想定の範囲内である。これで再稼働反対の意見を変える理由にはならない。

関電の電力供給能力はどれだけあるの
関電発表によると5月20日最大供給力は2,178kWである。
それに加えて
【停止中の主な発電機】(5月20日)が8基ある
奥多々良木発電所1号機 ▲27万kW(作業)奥吉野発電所 5号機 ▲19万kW(作業)相生発電所 1号機 ▲38万kW(作業)相生発電所 2号機 ▲38万kW相生発電所 3号機 ▲38万kW南港発電所 1号機 ▲60万kW(作業)堺港発電所 1号機 ▲37万kW(作業)海南発電所 3号機 ▲60万kW(作業)
計▲317万kW
他社電源 ▲224万kW
【出力抑制中の主な発電機】が3基ある。 
姫路第二発電所 5号機 ▲30万kW(作業)姫路第二発電所 6号機 ▲12万kW(作業)姫路第一発電所 5号機 ▲45万kW(作業)
小計87万kW
【揚水能力不足に伴う出力減少分】なし

関電の原発以外の未稼働発電能力は計628kWある。

即ち現在の関電の最大供給能力は2178+6282806W

11年夏のピーク使用量は2,784kW
10年夏のピーク使用量は3,095kW である。

最大限供給能力が発揮されれば昨年のピーク使用量はクリアできる。

もちろん猛暑の可能性もある、発電所のトラブルも予想される。節電することは必要だ。政府の提起は10年比15%節電である。すでに昨年10%節電を達成しているので、あと5%である。昨年関西は関東ほど節電に努力していない。あと5%程度の節電は十分に可能である。
政治家の責任は弱者を守りながら節電の先頭に立つことである。

2012年5月9日水曜日

弱者を犠牲にする計画停電は絶対にしてはならない


全原発停止に伴い電力不足宣伝が盛んになされている。政府筋から計画停出を行うとの発言がでている。これが実施されれば一定の時間(当然電力需要ピーク時の午後)、一定の地域で送電が一律に止められる。私は医師の立場から計画停電の実施に強く反対する。

電気が止まれば電気で稼働する医療機器は使用できなくなる。病院には非常用の自家発電機が準備されているが長時間の稼働は想定していない。自宅で医療機器を使いながら療養されている方は多い。自家発電機の準備はない。人工呼吸器はバッテリーがついているが稼働は数時間だ。酸素濃縮器にはバッテリーはない。酸素ボンベの準備が必要になる。電動ベッド・吸引器・褥瘡予防マットは動かない。輸液ポンプにはバッテリーがあるが。数時間の稼働だ。電動ベッドも動かない。

さらに影響が大きいのはエアコンが停止することだ。毎年熱中症予防のために、水分の補給と適切なクーラーの使用を啓蒙してきた。それでも室内で熱中症が発生している。エアコンが使えなければ、熱中症が多発する。死者が出る可能性がある。適切なエアコンの使用を妨げてはならない。

また昨年春、関東で実施された計画停電は本当に必要だったのか。計画停電の実施は、市民生活に、病人の療養にどんな影響を与えたのか。検証が必要だ。

今出ている、昼間の電気料金を上げてピーク時の節電をしようというのも間違っている。電気代の負担能力のない経済弱者に節電を強いることになる。そんなことを思いつき、電力利用を我慢する弱者の姿が想像できないメンタリティーが悲しい。

節電必要性はよく理解している。どんな方法でするのかが問題だ。大いに議論したい。しかし病人・弱者を犠牲にせず守り抜くことが、議論の大前提だ。計画停電は論外である。節電について大いに議論し、準備しよう。真夏はあと2か月でくる。

2012年5月6日日曜日

安易な計画停電なしに今年の夏を乗り越えるために力を合わせよう


5月6日原発稼働ゼロが実現した。2011年東日本大震災・福島原発事故、2012年原発ゼロが日本の歴史に刻まれ、後世に伝えられていく。報道されているように当面の焦点である大飯原発の再稼働は住民合意の見込みがなく今年の夏までに実現することは困難になっている。原発稼働ゼロで今年の夏を迎えることは確実である。この夏の電力「不足」にいかに対処するかが緊急重要な問題となっている。

電力「不足」についてもいろんな見解がある。関電は10数%の不足を予想している。その一方で電力は足りているとの意見もある。結果は3か月もすればはっきりする。しかしいま大切なことは、どちらの予測が正しいか議論することではなく今年の夏を停電なしに、人々の生活の大きな「被害」なしに乗り越えることである。

原発がすべて停止したのである。2011年以前の電気の使い方が続けられると誰も考えていない。電気を大切に使う努力を続けなければならない。しかし安易に「計画停電」を口にする動きがある。それには反対だ。停電は人々の生活を脅かす。「計画停電」の根拠とそれによるメリットとデメリットの開示なしに停電を安易に口にしてはいけない。

私のまわりには電気に頼って命をつないでいる人たちがいる。呼吸機能が悪く酸素濃縮器を使っている方や、人工呼吸器を使っている方だ。予備のバッテリーはあるが、停電はそのような方の生命をリスクにさらすことになる。またエアコンが使えなければ高温環境に弱い高齢者が熱中症になる可能性がある。これらの人たちを守りながら今年の夏を乗り越えたい。

原発再稼働・存続を考える人たちの頭には「この夏国民に被害があった方が自分たちの意見がとおりやすくなる」との考えがかすめるかもしれないが、それは払拭してほしい。我々が喧々諤々議論してきたのも、「日本に住む人々の幸せのために原発をどうしたらいいのか」が前提になっているはずである。だから当面原発存廃の議論は横におきたい。この夏を国民生活に大きな「被害」なしに乗り越えるために知恵と力をだしたい。

力を合わせるには、1、目的の明確化 2、情報開示 3、開かれた議論 4、説明責任の伴った決定 5、毅然たる指揮が必要である。民主党政権は昨年の震災・原発事故の時に危機管理ができなかったと批判されている。生活に大きな「被害」を出さずにこの夏を乗り越えるために、政権が先頭に立てれば、名誉を挽回することができるかもしれない。頑張ってほしい。

2012年5月4日金曜日

「福島をくりかえさない」と「二度と戦争をしない」は日本国民が誇るべき二つの決意


今、5月5日午後11時に泊原発の発電が停止する。これで日本全国が原発なしの電力供給体制になる。全原発停止を実現したのは、「福島をくりかえさない」という日本国民の明確な意思である。

昨年の福島原発事故以来、日本国民は多くのことを学んだ。

ひとたび原発事故が起きると取り返しのつかない被害を個人にも、地域社会にも、自然にも与えることを知った。これまで電力会社や政府が安全な理想のエネルギーだとしてきた原子力が、実際は大変危険なエネルギーであることを理解した。

原子力村があることも国民周知のものとなった。電力会社・官僚・学者・マスコミが一体となって原子力利権に金で結びつき原子力を推進してきたこと知った。

また事故後の電力会社や政府の対応が国民のいのちを守ることに全力を注いだものではなかったことに気づいている。情報を隠蔽し、被害を少なく見せることに躍起になり。マスコミを通じて虚偽の言説を垂れ流したことを忘れてはいない。

そんな電力会社と政府がいくら原発の安全性が証明された、原発が稼働しないと電力不足になると言っても、国民は信用しない。

当面の焦点である大飯原発の再稼働も決まっていない。政府は4月中に再稼働を決める計画であったができていない。簡単に同意するとみられていた大飯町も福井県も同意していない。

「福島をくりかえさない」というのが国民の明確な意思である。これは第二次世界大戦を経験し「二度と戦争をしない」と決意したことに匹敵する意思である。日本国民は憲法九条を65年間守り抜いてきた。これからは「福島をくりかえさない」とあわせて守っていく。

「福島をくりかえさない」と「二度と戦争をしない」は日本国民が誇るべき二つの決意だ。どちらもそれをくつがえそうとする動きが続くだろうが簡単に成果を上げることはできないだろう。日本は市民革命を経験していないので民主主義が未成熟だと言われている。この二つの決意をつらぬくことが民主主義の熟成した日本をつくることにつながっていく。