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2010年7月18日日曜日

日本神経学会は水俣病の病像についての医学的見解を表明するべきである

  水俣病をめぐる混乱が続いている。水俣病をめぐって国と司法で認定基準が異なるという状態が続いている。事実に基づいた水俣病の病像についての科学的見解をだすことが望まれる。 

国は77年にだした「感覚障害」と「運動失調」など二つ以上の症状がないと水俣病とは認められないという立場を崩していない。一方司法は一連の裁判で感覚障害と有機水銀に汚染された魚を多く食べたなどの疫学条件で認定するとの判決をだしている。それに加えて7月16日大阪地裁で、水俣病の現行の認定基準は、医学的な根拠がない――との、これまでの国の主張を真っ向から否定する判断が示された。これに対して国と熊本県は控訴する方針を固めている。 

ここで問われているのは医学的根拠である。行政と司法だけで医学的根拠の論争の結論はでない。学術団体である日本神経学会の水俣病に対する取り組みと見解が注目される。もちろん被害者救済のための認定基準は行政の権限に属するものである。しかし現行の認定基準作成には神経学会内の医師が参加して作成された。それが裁判所によって、医学的根拠がないと断定されたのである。神経学会に問われているのは、認定基準がいかにあるべきかといことではなく、慢性水俣病の病像はいかなるものかについて医学的議論やコンセンサスを形成することであり、結論をだすために全住民検診などの医学的研究を組織することである。

わたしは20年近く、近畿在住の水俣地域出身者の診療を行ってきた。感覚障害にくわえ視野狭窄や失調症などの神経障害を持つ人をたくさん診てきた。また有機水銀に汚染された魚介類を多量に摂取した明確な疫学的事実がある方で感覚障害だけを呈している方をたくさん知っている。昨年9月に民間の実行委員会が熊本県水俣市・上天草市、鹿児島県出水市・長島町などで「水俣病大検診」をおこなった。受診者は1044人で、その内94%が感覚障害かそれに加えて他の神経障害を持つことが明らかになっている。

救済をいかなる範囲でするべきかは、行政や司法や議会の議論で決めることである。しかし慢性水俣病の病像がいかなるものであるかの議論と見解の表明は神経学会のおこなうべき任務である。確かに神経学の発展に多くの役割を果たされた先輩たちが国の認定基準づくりに関与してきた。その基準を医学的根拠がないと断定される事態である。沈黙しているわけにはいかない。事実に基づいた水俣病の病像についての科学的見解をだすことが望まれる。神経疾患の専門医の集まりである日本神経学会がどう行動するか注目される。

2010年7月4日日曜日

ワールドカップでの日本・韓国両代表の健闘に拍手を

日本と韓国がベスト16で敗退し、アジアの代表がワールドカップから姿を消しました。しかし予選リーグを勝ち抜いた両国の活躍は賞賛に値します。両国のサッカーがこれからも発展し、いつか決勝戦で両国が対戦する日が来ることを楽しみにしています。
李韓国大統領は「韓国は今日、ウルグアイに負け、準々決勝進出を果たせなかったが、日本は、アジア代表として果たしてほしい」と語りました。(2010627  読売新聞)アジアのメデイアは「W杯、『アジア代表』の健闘称賛 日本惜敗で各国」(2010/06/30 共同通信)「韓国では29日の試合を「120分間の血戦」(聯合ニュース)と報道。KBSテレビは、何度も相手ゴールを狙った攻撃力を評価した。」(2010/06/30 共同通信)と報道されています。サッカーを通じて日本と韓国のみならずアジアの相互理解と連帯がすすんだことは嬉しいことです。
しかし「ソウル市内の飲食店ではテレビでパラグアイを応援する人の姿が目立ち、PKでパラグアイが勝利を決めると、若者たちからは歓声が上がった。」(2010/06/30 12:02   共同通信)との報道もあります。どの国を応援するかは個人の自由です。日本でも韓国が敗退した時に歓声を上げた人がいたと思います。2006年のWBCの時に「戦った相手(韓国)が『向こう30年は日本に手が出せないな』と、そんな感じで勝ちたい」と高名なプロ野球選手が発言したことを記憶しています。歴史的経過に対する無知とその発言が隣国の人々にどんなふうに受け取られるかにかについての想像力の欠如が生んだ発言です。偏狭な意識が両国民の中に残っているのは事実です。しかし両国の国民の中にはお互いを尊敬し合い力をあわせてアジアの中で生きていこうと考える人が多くいることもまぎれのない事実です。一つの事実だけ取り上げてそれが全てであるような言い方は慎まなければなりません。
日本国憲法前文は「日本国民は、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と明記しています。偏狭な嫌韓流も「嫌日流」も克服していかなければなりません。そのためには正しい歴史認識と草の根レベルの市民の交流を通じて信頼感を醸成することが必要です。サッカーがその一助になればいいと期待しています。