私の勤務する医療法人の新年集会でナターシャ・グジーさんのコンサートがあった。月並みな表現だが「その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響き」に感動した。08年の世界9条会議で彼女の歌を聞いた。その時からもう一度彼女の歌を聞きたいと思っていた。それが今回実現した。
彼女はウクライナ生まれ。 6歳のとき、チェルノブイリ原発事故でわずか3.5キロ地点で被曝している。「3日間避難してください。必要なものしか持っていかないで。3日後に帰ってきます。」(ふるさと ナターシャ・グジー オフィスジルカ)といわれて避難をした。それから一度も実家の家には帰れていない。20歳のときから日本で音楽活動をしている。
今回、彼女はさだまさし作詞作曲の「防人の歌」を歌った。透きとおった歌声が響き。目を閉じると津波被害の東北の光景が、原発被害の福島の光景が見えた。
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください
(中略)
わずかな生命の
きらめきを信じていいですか
言葉で見えない望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で
(後略)
「防人の歌」は80年の映画「二百三高地」の主題歌だ。どんな映画か確かめるためにDVDを買って映画を見てみた。日露戦争は多大な犠牲を払ったが国家の自立自存のための必要な戦いであったという立場で描かれている。私はその考えには賛同できない。歌は兵士の死体が累々並ぶ戦場の場面で出てくる。歌詞を吟味したが、「防人の歌」自体は戦争賛美の内容は持っていない。
悲しいことをたくさん体験した。でも生命のきらめきを、言葉で見えない望みを、来る人を、そしてやがて満ちてくる月を信じたいと思う。
ナタシャー・グジーの「防人の歌」をぜひ聞いてください。
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