Translate

2015年8月7日金曜日

殺し殺される日本にしないため

「今年も原水禁大会に行くのですか」と患者さんによく言われる。ことしも長崎に行く。原水禁大会は連続六年の参加だ。「核兵器が廃絶される日まで、毎年原水禁大会に参加し続ける」と宣言している。「どうして平和運動をしているのか」と聞かれる。若いころは「侵略のための銃を持たない、戦争で人を殺さない」と思って運動をしてきた。今は自分も家族もそして隣国の友人もみんなが戦争で殺されないために平和運動をしている。
 戦争で一番恐ろしいのは、「戦争に勝つこと」が唯一の絶対の価値になることだ。異論を述べれなくなる。平時なら絶対に殺人などしない一般人が殺人者に仕立てあげられる。内心では反対でも反対の意思が表明できず、命令に従って殺人者になってしまう。
 「永遠の0」という小説がある。映画にもなりテレビドラマにもなった。作者は百田尚樹だ。「家族のもとへ、必ず還る」「死にたくない」と公言する戦闘機パイロットの主人公は多くの人に感動を与えた。ただ帝国海軍でそんな軍人が現実に存在できたのか。リアリティーに問題がある。また小説とテレビドラマではあるが映画ではないエピソードがある。撃墜されてパラシュートで脱出する敵兵を主人公が射殺する。それを「武士の情け」がないと批判されると、彼は「殺さないと、また殺しにやってくる」と言い放つ。家族のもとに生きて還りたいと考えるものが、家族がいる無抵抗の敵兵を射殺した。「これが戦争だ」と言う。「永遠の0」は当時の軍上層部や特攻戦術を批判するが、戦争そのものは批判しない。
「国を守るために戦争に行け」というのでは受けが悪い。だから「愛するものを守るために戦争を」と言う。しかし忘れてはならない。「敵」にも愛する人がいる。「愛するものを守るために」、戦争を未然に防がなければならない。「永遠の0」と戦争法推進の百田尚樹がどう結びつくのか考えてみてほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿