木田(仮名)さんが亡くなった。以前から尊厳死を希望されていた。2年前から便に血が混ざり検査をすすめていた。同意されなかった。「十分生きてきました」が口癖だった。最後まで「家族に負担になっていないか」と気遣いをされていた。亡くなる2日前に木田さんが育ててこられた庭の菜の花の写真を見せた時、手を強く握られた。その感触が残っている。
患者さんを診断・治療し最大限の健康をめざすのが医師の仕事だ。誰もがさけられない「死」をどのように迎えるのかも大切な問題だ。患者さんの声に耳を傾けながら苦痛なく満足して逝けるようにするのも医師の重要な仕事だ。しかし残念ながら医師は「おくりびと」の仕事になれていない。「死」という言葉を口にすることすらためらいがある。
日本老年医学会はすべての人は、人生の最終局面である「死」を迎える際に、個々の価値観や思想・信条・信仰を十分に尊重した「最善の医療およびケア」を受ける権利を有すると宣言している。「最善の医療およびケア」である。
「終末期の患者をケアすることは、患者に対する最後の診療であると同時に、わたしたち医師たちにとっての最終試験でもある」(人はいつか死ぬものだから ポーリーン・チェン 河出書房新社)日々研鑽したい。
急性期の病棟、診療所。そして、今は地域医療へ。2年が過ぎました。終末期の患者さんを在宅で看取っています。先生にたくさんのことを教えていただきました。ありがとうございます。大学院での講義、今年で5年目になります。
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