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2012年4月15日日曜日

大往生するために医療と適切にかかわろう 「大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ」(中村仁一 幻灯舎新書)を読んで


   医師という仕事をしているので死という事に関心があり読んでみた。「自然死」についての経験が深い著者の意見は傾聴に値する。とくに「自然死」をいわゆる「餓死」と断定し脳内麻薬がでて苦しいものではないとする著者の意見は参考になる。


この本の主題は、「『老い』には寄り添ってこだわらず、『病』には寄り添ってとらわれず、『健康』には振り回されず、『死』には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけることが大切です」だ。同意できる。この著者は医療の「限定利用」を主張しているのであって表題の「医療とかかわるな」と主張しているのではない。表題は誤解を生むものだ。

著者は死を次のようにとらえている。釈迦の「人生は『苦』であると明らめよ」という言葉に学び、「生、老、病、死が『苦』で、人間の思い通りにならないもの」「『老』『病』『死』は自分で引き受けるしかないと思っています」

では人生の折り返し点、閉経・還暦・退職を終えた高齢者がどう生き、どう医療とかかわればいいのでしょうか。それを知りたい。

 著者の言う「あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、これが年寄りの楽に生きる王道だと思います」医療の限定利用とは、どんなものでしょうか。

 こう書かれている。
「少々のことでは医者にかからず、自分で様子をみることです。」「これはふつうじゃない、様子をみていてはよくない、医者へいった方がいい、という例外のケースがわかるようになります。」「もちろん、症状軽減のため、医療を利用するのはいいでしょう」

 この主張が医療費削減の口実につかわれ、適切な受診が妨げられることを危惧する。著者は医療をうけるなと言っているのではなく、適切に利用しろと言っている。なにが適切利用かを明らかにすることが課題だ。まず人間の老いと死についての、医師と国民の認識の深まりがすすむことが必要だ。

高血圧治療が脳出血の発症を減らしたことも、心筋梗塞や脳梗塞の救急治療が患者を元通りの生活に戻していることも事実である。その他、現代医療が人々の幸せに貢献している事実は挙げればきりがない。このことを無視してはいけない。もちろん著者が言うように、「『死』という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです」これもあたっている。だからこそ、いまこそ医療も「死」というテーマに真剣に向き合うことが必要だと考える。

著者が言うように動物なら繁殖を終えると死んでいくだが、人間は文明のおかげで長生きできるようになった。「年寄りの最後の大事な役割は、できるだけ自然に『死んでみせる』ことです」のもそのとおりだ。しかし早く死ねばいいわけではない。健やかに長く生きる意義はある。長生きを喜び、感謝しながら生きていきたい。そして「自然」に死にたい。それに医療も貢献できることはある。

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