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2012年4月26日木曜日

原発銀座福井の海岸に立って原発再稼動問題を考えよう


西川福井県知事は「立地地域の果たしてきた努力や貢献が必ずしも理解されていない」と繰り返し表明されている。福島原発事故が福井で事故がおこれば影響が近畿にも及ぶことを明確になった。だからといってリスクを福井県に押し付けながらこれまで電力を消費してきた近畿が手のひらを返すように再稼動に反対するというのは心情的に受け入れがたいということだ。

知事は基本的には原子力発電継続、再稼動推進の立場である。しかし「努力や貢献が必ずしも理解されていない」との思いは、知事のみならず原発立地県の住民のいつわらざる思いではないか。立地県の現状の困難を理解し、その解決に貢献することが再稼動阻止・脱原発へすすむために必要だ。

福井原発の発電した電力は福井県民ではなく、近畿2府4県民が消費してきた。40年間福井県民は原発事故の危険と隣りあわせで生活してきた。40年間の原発稼動は広島型原爆40万発分の放射性廃棄物を作り出した。その廃棄物の処分法もないまま蓄積されている。そして原発の40年間は福井の労働と経済が原発マネーに深く組み込み、原発が嫌でも簡単に反対とは言えない状況を生みだした。原発再稼動が「遅れている」だけでも福井県民の生活を困難している。それは事実だ。集会の後小浜市街をデモしたが、日曜日の午後にもかかわらずしまっている店が多く、驚いた。原発を押付けられてきた地域が抱える問題の深刻さを痛感した。

福井県民の直面する困難を理解し、その解決へむけ力を合わせなければならない。再稼動反対・脱原発のスローガンだけではなく、福井の雇用と経済の再生へ向けたプラン作りと実践をすすめる必要がある。そのためには、近畿と福井の住民の相互理解が必要だろう。まずはじめの第一歩は近畿のから福井に出かけ、原発を自分の目で見ながら福井の人々の声を聞くことだ。そして40年間リスクを押し付けながら電力を利用してきたことについて謝罪をすることが必要だ。

2012年4月18日水曜日

橋下徹氏は本当に脱原発に変わったのか


   民主党政府は、大飯原発再稼働へ大きく一歩を踏み出しだした。しかし政府はなぜ再稼働が必要なのか、再稼働が安全なのか説明しきれていない。

そのなかで橋下徹大阪市長が、大飯原発再稼働反対の主張を展開しマスコミが大々的に報道している。大阪府市のエネルギー戦略会議は現時点での再稼働反対、可及的速やかに全ての原子力発電所廃止を打ち出している。
私は脱原発が福島事故を経験した日本国民の願いであり必ず実現したいと考えている。新自由主義・反民主主義の橋下維新とは政治的立場がまったく相容れないが、脱原発の一点で一致するなら、原発問題での橋下氏の動きを支持したいと考えている。
しかしもともと「脱原発依存」を主張していた橋下氏がなぜ、いつ可及的速やかな原発廃止=脱原発の立場に転換したのかの説明していない。饒舌な橋下氏がこの点については一切語っていない。
 逆に4月15日付のツイッターで彼は「僕の電力供給体制の変革についての考え方もまとめている。明日明後日に原発を0にすることなど考えていない。短期・中長期に分けている。産業基盤に影響を与えないよう、中長期的にどのように変えて行くか。」と書いている。これは彼が言ってきた短期・中長期には原発を温存するという「脱原発依存」論ではないか。
 エネルギー戦略会議も「原子力発電所が廃止されるまでの間においては、真に需要が供給を上回ることが確実となる場合においてのみ、必要最低限の能力、期間について原子力発電所の安定的稼働を検討する。」としている。つまり電力不足に備えて原発を維持し、電力が不足すれば、「絶対的安全性」が確保されなくても再稼働する。そのために原発をスタンバイしておくとしている。
 橋下氏は「明日明後日に原発を0」にしないのならば、何時までに原発を0にするのかを明確にしなければならない。
 橋下氏が原発再稼働反対を語る時、私はいつもみんなの党の渡辺氏が消費税増税反対を語る姿が重なって見える。渡辺氏は消費税を上げる前にすることがあるという。選挙を有利にするための、政局のための主張である。橋下氏も総選挙をにらんだ政治的パフォーマンスの匂いがする。
 脱原発を進めるためには、再稼働停止するだけではなく、廃炉・使用済み核燃料の最終処理作業をすすめなければならない。この点での国民的討議・合意の形成が必要だ。全原発廃炉へ運動をすすめたい。橋下氏は維新の全廃炉タイムテーブルのついたロードマップを提示してほしい。
橋下氏はここで指摘した問題にこたえるべきである。今後の橋下氏の原発問題での言動に注意したい。

2012年4月15日日曜日

大往生するために医療と適切にかかわろう 「大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ」(中村仁一 幻灯舎新書)を読んで


   医師という仕事をしているので死という事に関心があり読んでみた。「自然死」についての経験が深い著者の意見は傾聴に値する。とくに「自然死」をいわゆる「餓死」と断定し脳内麻薬がでて苦しいものではないとする著者の意見は参考になる。


この本の主題は、「『老い』には寄り添ってこだわらず、『病』には寄り添ってとらわれず、『健康』には振り回されず、『死』には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけることが大切です」だ。同意できる。この著者は医療の「限定利用」を主張しているのであって表題の「医療とかかわるな」と主張しているのではない。表題は誤解を生むものだ。

著者は死を次のようにとらえている。釈迦の「人生は『苦』であると明らめよ」という言葉に学び、「生、老、病、死が『苦』で、人間の思い通りにならないもの」「『老』『病』『死』は自分で引き受けるしかないと思っています」

では人生の折り返し点、閉経・還暦・退職を終えた高齢者がどう生き、どう医療とかかわればいいのでしょうか。それを知りたい。

 著者の言う「あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、これが年寄りの楽に生きる王道だと思います」医療の限定利用とは、どんなものでしょうか。

 こう書かれている。
「少々のことでは医者にかからず、自分で様子をみることです。」「これはふつうじゃない、様子をみていてはよくない、医者へいった方がいい、という例外のケースがわかるようになります。」「もちろん、症状軽減のため、医療を利用するのはいいでしょう」

 この主張が医療費削減の口実につかわれ、適切な受診が妨げられることを危惧する。著者は医療をうけるなと言っているのではなく、適切に利用しろと言っている。なにが適切利用かを明らかにすることが課題だ。まず人間の老いと死についての、医師と国民の認識の深まりがすすむことが必要だ。

高血圧治療が脳出血の発症を減らしたことも、心筋梗塞や脳梗塞の救急治療が患者を元通りの生活に戻していることも事実である。その他、現代医療が人々の幸せに貢献している事実は挙げればきりがない。このことを無視してはいけない。もちろん著者が言うように、「『死』という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです」これもあたっている。だからこそ、いまこそ医療も「死」というテーマに真剣に向き合うことが必要だと考える。

著者が言うように動物なら繁殖を終えると死んでいくだが、人間は文明のおかげで長生きできるようになった。「年寄りの最後の大事な役割は、できるだけ自然に『死んでみせる』ことです」のもそのとおりだ。しかし早く死ねばいいわけではない。健やかに長く生きる意義はある。長生きを喜び、感謝しながら生きていきたい。そして「自然」に死にたい。それに医療も貢献できることはある。

2012年4月11日水曜日

「おくりびと」としての医師


木田(仮名)さんが亡くなった。以前から尊厳死を希望されていた。2年前から便に血が混ざり検査をすすめていた。同意されなかった。「十分生きてきました」が口癖だった。最後まで「家族に負担になっていないか」と気遣いをされていた。亡くなる2日前に木田さんが育ててこられた庭の菜の花の写真を見せた時、手を強く握られた。その感触が残っている。

患者さんを診断・治療し最大限の健康をめざすのが医師の仕事だ。誰もがさけられない「死」をどのように迎えるのかも大切な問題だ。患者さんの声に耳を傾けながら苦痛なく満足して逝けるようにするのも医師の重要な仕事だ。しかし残念ながら医師は「おくりびと」の仕事になれていない。「死」という言葉を口にすることすらためらいがある。

日本老年医学会はすべての人は、人生の最終局面である「死」を迎える際に、個々の価値観や思想・信条・信仰を十分に尊重した「最善の医療およびケア」を受ける権利を有すると宣言している。「最善の医療およびケア」である。

「終末期の患者をケアすることは、患者に対する最後の診療であると同時に、わたしたち医師たちにとっての最終試験でもある」(人はいつか死ぬものだから ポーリーン・チェン 河出書房新社)日々研鑽したい。

2012年4月6日金曜日

野田政権は原発再稼動を強行するな


新聞報道によると
 「野田政権は5日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させる条件となる安全対策の暫定基準案の骨子を了承した。全電源喪失の防止策などに加え、電力会社にも安全対策の実施計画を示すよう求める内容だ。6日の関係閣僚会合で正式に決定する。」(4月6日朝日新聞)政府は原発を再稼動させる意向だ。
  
 しかし多くの国民は原発再稼動に反対している。
が実施した全国世論調査で、「政府が準備を進めている関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働に『賛成』と答えた人は33%にとどまり、『反対』の62%を大きく下回った。」(4月2日毎日新聞)

にもかかわらず政府は原発再稼動に一気に進めようとしている。「再稼働に必要な『地元の理解』について、藤村官房長官は5日の会見で『法律などの枠組みで同意などが義務づけられているわけではない。政府が判断する』と指摘。」(4月6日)再稼動に、「地元」や国民の理解は必要なく、政府の責任で進めるというのだ。

昨年の大震災・津波・原発事故を経験した日本国民が心をひとつにして復興と再建を進めようとしているときに、国民の大多数の反対を押し切って政府の責任で原発再稼動を進めることは蛮行といわざるを得ない。

原発についていろいろな意見があるのは事実である。もっと時間をかけた議論が必要だ。しかし、今の時点でなぜ原発を再稼動する必要があるのか、政府の暫定基準が妥当なものであるのかの議論をする必要がある。

しかし、今年の夏の「電力不足」時期が目前に迫っている。野田政権がするべきことは原発についての国民的議論をすすめながら、今夏の電力対策の方針を政府の「責任」で早急に策定し国民の理解と協力を求めることだ。政府と与党民主党の原発再稼動について再考を要求する。

2012年3月31日土曜日

「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」2012に賛同します


日本老年医学会は1 月28 日、「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」2012(「立場表明2012」)を決定しました。高齢者の医療とケアに関する重要な提起です。多くの国民が一読され議論をされることをお勧めします。

概略、以下のようです。
■基本的立場
高齢者医療は、人文・社会・自然科学で得られた幅広い成果に基づく生命科学を基盤にした、「生命倫理」を重視した全人的医療であるべきである。
■「立場表明」を出す目的
すべての人は、「死」を迎える際に、個々の価値観や思想・信条・信仰を十分に尊重した「最善の医療およびケア」を受ける権利を有する。
■立場−1 年齢による差別(エイジズム)に反対する
いかなる要介護状態や認知症であっても、高齢者には、本人にとって「最善の医療およびケア」を受ける権利がある。
■立場—2 個と文化を尊重する医療およびケアがおこなわなければならない。
■立場—3 本人の満足を物差しに高齢者の終末期の医療およびケアにおいては、苦痛の緩和とQOL の維持・向上に最大限の配慮がなされるべきである
■立場—4 家族もケアの対象に含まれる。
■立場—5 医学のみならず看護、介護、リハなどのチームによる医療とケアが必須
■立場—6 医療とケアの従事者並びに国民に死の教育ならびに終末期医療およびケアについての実践的な教育啓蒙が必要
■立場—7 医療機関や施設での継続的な議論が必要 倫理委員会を設置すべきである。
■立場—8 科学の不断の進歩を反映させる努力・研究が必要
■立場—9 緩和医療およびケアの普及
■立場—10 医療・福祉制度のさらなる拡充を 制度的・経済的支援が不可欠である。
■立場—11 科学的検証を進めるとともに、広く国民もまじえた議論を続ける。

しかし現実の高齢者の医療とケアをめぐる状況は必ずしも「立場表明2012」の方向へは進んでいません。「増大する医療費を抑制するための早期退院への圧力はますます強まっており、高齢患者やその家族の意思を十分に確認することなく治療方針が決定される傾向」(「立場表明2012」)があります。国の財政困難を理由に高齢者の公的医療が縮小されています。高齢者と若者の利害を対立させ「若者のために高齢者は我慢するべきだ」との言説が横行しています。批判し克服しなければなりません。

多くの方がこれを一読されることを期待します。

2012年3月26日月曜日

大飯原発に関する原子力安全員会の見解についてのマスコミ各社の報道は事実をゆがめている


3月23日原子力安全員会は「関西電力株式会社大飯発電所3号機及び4号機の安全性に関する総合的評価(一次評価)に関する原子力安全・保安院による確認結果について」(以下確認結果)を発表した。原発問題の焦点となっている大飯原発再稼働に関係した見解だ。


その発表についてマスコミ各社は次のように報道した。
安全委 大飯原発「評価」了承 再稼働政治判断へ (毎日新聞)
大飯原発 再稼働なおハードル 政府地元同意、来月中めざす (日経新聞)
大飯原発再稼働へ 耐性「妥当」 走る政権 険しい道 地元や橋下氏も意見 (朝日新聞)
大飯原発3、4号機の耐性検査を了承…安全委 (読売新聞)
日経を除き、「評価」了承、耐性「妥当」、耐性検査を了承と報道している。見出しだけを見れば安全委員会は再稼働にゴーサインを出したかのような印象をうける。

しかし安全委員会の見解の「まとめ」は、次のとおりである。
「今般の総合的安全評価は、保安院が東京電力株式会社福島第一原子力発電所における事故を踏まえて事業者に指示した緊急安全対策等が、主に設計上の想定を超える外部事象に
対していかに原子炉施設の頑健性の強化に寄与したかを評価することを目的としており、一次評価により緊急安全対策等の一定の効果が示されたことは一つの重要なステップと考える。今後は、当委員会の意見を踏まえ、二次評価を速やかに実施するとともに、より一層の安全性向上に向けた継続的改善に努めることが肝要である。」(確認結果)

この「まとめ」を率直に読めば、安全委員会は一次評価を一つの重要なステップであると断定し、引き続き二次評価を速やかに実施するとともに、より一層の安全性向上にむけた継続的改善を求めたのである。

これを見出しにすれば
「安全委員会 一次評価は一つのステップ 速やかな二次評価実施を提起」
になるのではないか。

新聞各社が重要問題で独自の見解をもつのは問題ないと考える。しかし、事実を事実にそって報道しないなら報道とは言えない。今回の記事は一定の予断をもって事実をゆがめる報道である。報道各社の誠実な内部点検と反省をもとめる。