豊臣秀吉には大阪人は思い入れが大きい。家康は嫌いだが、 秀吉は好きだ。巨人は嫌いだが、阪神は好きだ。 単なる大阪の東京に対する対抗意識も一因だろう。 しかし低い身分から出世して天下をとったということに庶民の憧れ が集まるのだろう。 大阪人にとっては子供の時からたびたび行った大阪城大阪城をつく った太閤秀吉さんなのだ。子供の頃は私もその大阪人の一人であった。
しかし隣の韓国ではまったく違う。
日本人は知らなすぎる。学校で秀吉の朝鮮侵略はどう教えられたのか。繰り返し上演・上映される秀吉の一代記で朝鮮侵略は如何に表現されたのか。自分の記憶をたどってもはっきりしない。自分はどう理解していたのか。教科書には朝鮮出兵とあったと思う。兵を朝鮮に出したということだけで、侵略である事実や、どれほどの殺戮と破壊がおこなわれたかについての教えられた記憶はない。だから庶民と大阪の代表である豊臣秀吉が好きだったのである。知らないということは恐ろしいことである。
先日、「月下の侵略者 文禄・慶長と耳塚」という映画を見た。その映画の一シーンに耳塚の周囲に一般民家が密集して立っている シーンがあった。周辺住民をうんぬんする意図は全くないが、 日本人の歴史認識の様を象徴している印象をうけた。 そこに何が埋められているのか、ほとんど知らず意識もしないように見えた。事実は知らなければならない、 事実は教え続けられなければならない。歴史的事実を知らなければまた同じ間違いをする。被害を受けた近隣諸国の民衆から信頼されない。
映画の中では韓国の人が耳塚は韓国に移設したいと発言されるシーンがあった。私は、何らかの方法でその希望に応える必要があると思うが、耳塚を含めその周辺を文化公園として整備し、日本の加害の歴史を学ぶ場所にする必要があると考える。戦争被害の象徴である広島・長崎とともに平和主義を貫くことを決意した日本の原点にしたい。広島の原爆ドームはすでに世界歴史遺産に登録されている。耳塚が歴史遺産になること希望する。
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