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2012年10月13日土曜日

「われわれは機械ではない」全泰壱(チョン・テイル)の叫び


129月ソウルに行った。チョン・テイルの記念碑を見てきた。

全泰壱(전태일、チョン・テイル1948826日生まれ)は、韓国における労働運動家である。彼は19701113日韓国ソウル市で「われわれは機械ではない」、「勤労基準法を遵守しろ」と主張し、自らに火をつけて焼身自殺をした。22歳であった。「僕の死を無駄にするな!」と叫びながら死んだ彼の死は、軍事独裁政権下の韓国社会に大きな衝撃を与えた。

彼は大邱の貧しい家庭に生まれた。17歳でソウル市東大門市場の縫製工場に就職した。そこでは女性労働者の多くが劣悪な環境で働かされていた。労働運動に目覚めた。独学で労働法を学び、同僚と共に勉強会を組織した。工場における労働実態や労働環境について調査し、それに基づいて労働庁に陳情したり、雇用者と協議を重ねたりした。

「尊敬する大統領閣下!(略)私たちは勤労基準法の恩恵を少しも受けられず、しかも2万人余りを超える従業員の90%以上が返金年齢18歳の女性です。(略)また、2万人余りの中で40%を占める補助校は平均年15歳の子どもたちです。彼らはみな零細民の子弟であり、飢えと苦しい現実に打ち勝とうと1日に90ウォンないし100ウォンの給料を受け取りながら、115時間ずつ作業をしています。」(1970年清渓被覆労働組合員チョン・テイルが朴正熙大統領に送った嘆願書 韓国近現代の歴史 明石書店)

その結果が解雇そして警察の弾圧であった。それに抗議して彼は勤労基準法の本を焼き、焼身自殺した。

彼の死をきっかけに韓国の民主化闘争は激しさを増した。そして1980年の光州事件、1987年軍事独裁政権打倒に繋がっていった。

チョン・テイルの記念碑は東大門の近く、清渓川(チョンゲチョン)にかかる橋の上にある。すぐそばには露天で有名な広蔵市場(カンジャンシジャン)がある。平和市場(ピョンファシジャン)という衣服店街がある。そこが彼が働き、焼身自殺した場所だ。

記念日のチョン・テイルの像はまるで子供のような表情をしている。22歳よりも幼く見える。

チョン・テイルは高等国民学校15歳で中退している。労働運動を目覚めた彼は労働法を独学で勉強した。漢字の多い本を読むのに苦労した彼は「大学生の友人がひとりいれば」と口癖のように言っていたそうだ。

「大学生の友人がひとりいれば」という言葉は韓国の学生・知識人に大きな衝撃を与えた。自分たちは何をしてきたのか、そして何をするべきか。一人一人の社会的責任を問うことになった。

チョン・テイルは「僕の死を無駄にするな!」と言い残して死んだ。1948年生まれだから、彼が私より1年先に生まれている。1970年彼がなくなった時私は大学生だった。同じ頃、同じ東アジアに生まれた私が「彼の大学生の友人」として何をするべきか深く考えさせられた。ソウルに行かれたら、カンジャンシジャンの見物のついでに清渓川まで足をのばして記念碑を見てほしい。


お父さんとチョンテイル(原題:아빠와 전태일)


全泰壹烈士の映画-『美しき青年・全泰壱』より


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