▼笹子トンネル事故には驚いた。建設後35年経過していた。開通時以来、固定するボルトや金具を補修した記録がないという。ほかは大丈夫か▼日本は東京オリンピック前後に建設ラッシュになった。その頃つくられたものは50年経過している。相当に劣化している▼07年にアメリカで建築後40年の橋が落下する事故が起きた。アメリカではインフラの劣化が大問題になっている。20世紀後半に経済繁栄を謳歌した両国が同じ問題を抱えている▼便利さも経済成長も大切だ。しかし安全を無視しては意味がない。これまで経済のために土木事業には熱心だったが安全確保を後回してきた。原発と同じ失敗だ▼歩道の整備、踏切の解消、ホームの転落防止用柵の設置も遅れている。大きな災害を経験したのに災害対策が進まない。コストが高騰するからと原発を存続させたいと言う。安全第一に頭を切り替えなければならない▼全国の劣化したインフラを整備するには費用がかかる。災害対策にも大変な費用がかかる。そんな時にリニア新幹線、新規新幹線、新規高速道路など必要か。またぞろ無駄な公共事業の再現ではだめだ。ましてや軍事費に金をかける時ではない。国民の安全を守るというならインフラの安全整備に全力をあげるべきだ。
大阪府堺市西区で診療所に勤務する医師です。09年10月17日よりYAHOOブログより引っ越しました。
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2012年12月6日木曜日
2012年11月18日日曜日
選挙に参加して議会を国民世論が反映するものに変えよう 選挙戦にあたりマスコミは国民世論にそった論戦を組織してほしい
国会が解散した。毎日の報道を見ていると自民と民主と維新の争いが最大のトピックになっている。しかし政策的には三党はほとんど差がない。消費税増税、原発存続、社会保障給付切り下げ、オスプレイ黙認で一致している。しかし国民世論はそれと別のところにある。
世論調査は国民の意見を示している。消費税増税反対56%(共同通信8月調査)、原発ゼロ42%(共同通信8月調査)、社会保障の将来に不安92%(毎日新聞3月調査)、オスプレイ配備不支持58%(時事通信8月)である。
憲法第41条は、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と規定している。しかしこのままでは選挙がどんな結果になろうと国民世論とかい離した政府、国会になる可能性がある。議会の構成が国民世論を反映したものでなければ民主主義は形骸化する。
3党は改憲でも一致している。選挙がどのような結果になろうとも、選挙後に改憲が中心課題になる可能性が濃厚である。そのことにふれずに選挙は進んでいる。
少数意見を切り捨てる傾向の強い小選挙区制という選挙制度の限界がある。だからこそ国民が適切な投票行動をとれるように国民世論に沿った論点整理と各党の政見が適切に国民に提供されなければならない。そのためにはマスコミの役割が重要である。マスコミは主要三党が国民世論とは無関係に恣意的に展開するやり取りに焦点を絞って報道するのではなく、国民の関心のある消費税・原発・社会保障・オスプレイ・安全保障・憲法で三党を含めたすべての政党を対象にした議論を組織しどの政党が国民世論の立場に立っているのかをあきらかにしなければならない。
憲法第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と述べている。国民世論とかい離した政府・国会を嘆き選挙を傍観していてはならない。選挙に積極的に参加して大いに議論し、議会を国民世論が反映するものに変えていこう。
2012年11月7日水曜日
韓国に反日の風は吹いていない
独島体験館展示 |
独島体験館 |
韓国に行ってきた。ソウルで「独島体験館」(http://map.konest.com/dforum/10069)を見学した。古代からの歴史的事実が展示されていた。韓国人親子の見学者が多かった。日本人が見学しても、余計な緊張を感じることはなかった。説明が基本的に韓国語で日本語の説明はなかった。独島は韓国のものだと強く主張するものだった。
釜山東莱(トンネ)で独島刺身料理店の看板を見かけた。看板には独島はわれらの領土だと書き添えられている。さすがにその店には入らなかった。アルコールを飲む場所で独島問題を韓国人と議論する気にはならなかった。
その独島刺身の店の近くで、お目当てのパジョンの店が見つからなくて停まっていたパトカーの警官に道を尋ねた。すると警察は無線で店の位置を確認し、「タセヨ(乗ってください)」と言ってくれた。生まれて初めてパトカーに乗った。そして無事に目的のパジョンの店に行くことができた。親切な対応に感謝・感激した。
ソウルにはためく万国旗 |
韓国のお盆で町は祭日モードだった。デコレーションの万国旗には日本の旗もあった。
領土問題では日本と韓国の政府の間に大きな対立がある。両国民の多数意見もそれぞれに対立するものであろう。しかしそのことが両国民の友好を否定するものになっていけない。今秋の韓国旅行で市民のレベルでの友好や節度ある態度に接してうれしく思った。領土問題という難しい問題も相手の主張をよく聞きよく議論して平和的に解決したい。
2012年11月2日金曜日
藤本義一さんと中皮腫
藤本義一さんが亡くなりました。大阪にはなじみのある方でした。心からご冥福をお祈りします。死因が中皮腫と聞いて驚きました。どうしてあの藤本義一さんが中皮腫になったのかと不思議に思います。
肺、心臓、胃腸、肝臓などは膜に包まれています。その膜の表面に中皮という組織があります。この中皮の腫瘍を中皮腫といいます。胸膜および腹膜中皮腫は、そのほとんどがアスベスト(石綿)の吸引により発生すると考えられています。吸引から発症まで潜伏期間は30年から40年、最短で20年です。
新聞報道によると藤本さんは亡くなる一年半前に健康診断で胸水を指摘され、精密検査をうけ中皮腫と診断されました。藤本さんはどこでアスベストを吸引されたのでしょうか。奥さんの統紀子さんは「昔、撮影所とかでアスベストを吸い込んでいたのかもしれない」と話されています。
アスベストは耐熱性耐久性電気絶縁性が強く多くの産業で使用されてきました。石綿の吹き付け・石綿を含む建物の解体・石綿を含む製品の製造、加工、アスベストを使用した製管・建設作業、歯科技工などが代表的作業です。労働者だけでなくアスベストのついた作業服を扱った家族や、アスベスト関連の工場付近の住民もアスベストを吸引している可能性があるとされています。大阪の泉南・泉州地域にアスベスト工場が多くありました。その地域ではアスベストに暴露された方が多くいます。藤本さんは堺市出身です。
日本のアスベスト輸入量のピークは70年代半ばです。75年に吹き付けアスベストの使用が禁止されています。04年までには、石綿を1%以上含む製品の出荷が原則禁止されました。潜伏期間が30年から40年であることを考えると日本の中皮腫の罹患および死亡は増加すると考えられます。またこれまでに建設材料でアスベストが使用されたものが多くあります。それの解体時にアスベストが飛散する危険があります。十分な対策が必要です。
1995年1月の阪神淡路大震災で多くの家屋が倒壊しました。その瓦礫処理作業でアスベストの飛散が多量にあり健康被害の発生が予想されています。2か月間だけで解体作業に従事した方が中皮腫を発症され11年に死亡され労災に認定されています。藤本義一さんも震災被災者です。
藤本さんの発病の原因はわかりませんが、検診で偶然見つかりました。本人も気づかない間にアスベストに暴露されたのでしょう。アスベストを過去にあつかった方はもちろんそれ以外の方も定期的に健診を受けられることをお勧めします。
2012年10月28日日曜日
ソウル 戦争と女性の人権博物館
戦争と女性の人権博物館に行ってきた。場所は地下鉄弘大入口(最寄は1番出口)から北西徒歩10分のところにある。住宅街にあり見つけるのが大変だった。
「戦争と女性の人権博物館は日本軍『慰安婦』被害者が経験した歴史を記憶・教育し日本軍『慰安婦』問題を解決する空間です。」(博物館パンフより)地下一階地上二階の小規模な博物館だ。日本人としては気の重いテーマだが。日本軍「慰安婦」問題をどう認識し、どう行動するのか。これが東アジアの一員である日本人一人一人に問いかけられている問題だ。
被害者が多数告発し謝罪と賠償を要求している。
日本政府は93年8月慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話を発表している。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」これが日本政府の公式見解だ。
しかし日本国内の右派的潮流、たとえば橋下大阪市長、安倍自民党総裁はこれを否定し、河野談話を撤回しようとしている。
地下展示室には慰安所の再現セットがある。簡易ベッドだけの部屋。強制的に性行為をおこなうための部屋。食事も酒もいわんやシャワーや風呂もない、ただただ性行為を強制するための空間。これを目の前にして、右派が是認する「自由な合意による売春」が行われた空間だと強弁するのは不可能だ。
博物館は現在も続く世界の紛争と女性への暴力について展示もしている。
日本が被害者に対し真摯に謝罪し賠償することが世界の紛争と女性への暴力を終わらせる大きな一歩になる。
ソウルに行ったら是非、訪問してほしい。
121-843ソウル市麻浦区ワールドカップ北路11道20
電話 82-2-365-4016 / 82-2-392-5252
Fax 82-2-365-4017
ホームページ www.womenandwar.net
計画停電計画は二度と出されてはならない 2012年夏関西電力計画停電計画についての草の根総括
暑い夏がようやく終わったらもう晩秋だ。季節の移り変わりは早い。
6月22日関西電力株式会社から「万が一の備えとしての計画停電」計画が発表された。もし実施されれば患者のいのちに関わる事態が発生する可能性があり、この夏緊張した日々を送った。9月7日関電が「この夏の節電期間の終了」を宣言し、計画停電は実施されずに終了した。結果的には「大飯原発の供給力がなくても、電力使用率が100%を超え、計画停電が必要になったと考えられる日数はゼロ。関電が緊急節電を呼びかける基準とした97%超も1日だけだった。」(10月1日朝日新聞)大飯原発再稼働も、計画停電計画も必要なかったことになる。
人工呼吸の患者やクーラーがないと熱中症になる方など電力がないと生命が維持できない人がいる。これらの人は停電弱者と言える。実施されなかったといえ関電が準備した計画は、個々の住民の事情を無視して地域を指定して一律に停電を実施し停電弱者の生命を危機にさらす非人道的なものであった。2012年夏の関西電力計画停電計画について、事実を記録し二度とこのような計画が出されることがないようにしたい。
1、計画停電計画は民主的な議論なしで決定された
その発端は、5月18日電力需給に関する検討会合エネルギー・環境会議であった。そこで「セーフティネットとしての計画停電の準備」をすることが決められた。
「計画停電は実施しないことが原則であるが、大規模な電源の脱落等万が一に備えて、(中略)計画停電の準備を進めておく」とで協議され確認された。
国会で電力需給見通しの妥当性や計画停電計画そのものの適法性について審議されなかった。
2、計画停電は人命尊重を第一に計画されたか
電力需給に関する検討会合エネルギー・環境会議は計画停電に実施の留意点として次の点を指摘した。
「併せて、国民生活への悪影響を緩和するため、医療機関等の緊急かつ直接的に人命に関わる施設や国の安全保障上極めて重要な施設等については、変電所の運用改善等によって技術的に可能な範囲で停電による影響をできる限り緩和する」
事実、救急病院のある地域は計画停電から除外された。しかしそれ以外の医療機関は計画停電の対象となった。金融機関も対象外になったようだ。しかしどの地域がどんな理由で対象地域から除外されたか説明されていない。
自宅で人工呼吸器をつけている患者さんの居住する地域が計画停電の対象地域になったので、関電に対象地域から除外してほしいと関電に電話で申し入れたが、「皆さん平等にしているのでダメだと断られた」。電気供給がなしには生きていけない患者さんの電気を、健常な人のそれと「平等」に停電するのは正当ではないどの地域であれ停電弱者はいる。一つの地域を計画停電にすれば、停電弱者は危機に陥ることになる。それは無差別爆撃と同じ無差別停電である。個々の住民の状況を無視した地域一律の計画停電は非人道的である。
3、停電弱者への対策はされたのか
電力需給に関する検討会合エネルギー・環境会議は計画停電の実施にあたり「在宅で人工呼吸器等の医療機器を使用する患者への対策の徹底、熱中症対策の周知徹底等に取り組む」とした。しかし実際はどうであったか。
先に述べた患者さんの場合、計画停電実施時関電は自家発電機を設置し電気を供給していただくことになった。自家発電機では電圧の変動がありクーラーが故障する可能性があることがわかった。体温調節機能に障害がある患者さんは停電すれば自家発電機があってもクーラーが動かず生活できないことがわかった。結局、計画停電が実施されれば入院してもらうことにした。
停電でクーラーが停止することは大問題である。クーラーのない暑熱環境で生命の危機に陥る方は少なくない。しかしこの対する具体的な対策は関電からも、国・地方自治体からもされなかった。
電気がなければ生命の危険がある患者さんは在宅人工呼吸の患者さんだけではない。在宅療養をしている患者さんは様々な医療器械を使用している。酸素濃縮器、喀痰吸引器、電動ベッド、エアーマット、移動用リフターなどである。
酸素濃縮器は停電になれば動かない。電気不要な酸素ボンベに変更する必要がある。計画停電が予想される時には、前もって酸素機器の会社が酸素ボンベを配置することになったが。停電実施時に酸素濃縮器から酸素ボンベに誰が変更する作業をするのかが問題になった。患者さん本人やご家族がそれを実行する能力があるかが検討課題になった。停電実施時に医療機関から電話で変更状況を確認するだけでいいのか。本人・家族実行能力がないと評価すれば、臨時で医療機関や介護機関から訪問して実行・確認することにした。
吸引器にバッテリーのないタイプがあった。今後停電は様々な理由で起こる可能性がある。吸引器はバッテリーをバッテリー付きのものに変更しなければならないが実施できていない。
停電弱者に対する対策はほとんどなされなかった。医療機関の努力だけでは危機は回避できなかったといえる。
3、電力不足時の対策はどうすればいいのか
自然災害などの突発事故で発電・送電が停止することは十分に考えられる。その場合は停電弱者の救援を最優先にしなければならない。しかし電力の供給不足で電力供給を制限しなければならない時にどういう方法で電力供給をコントロールするかである。先に述べたように一定の地域を計画的に停電させては非常に危険である。停電を回避し電力弱者を守るために、すべての自家発電機のフル稼働とすべての地域で強力な節電を呼びかけ実施する以外に方法はない。緊急自家発電と緊急節電のポテンシャルの評価を行う必要がある。
4、最後に
政府と電力会社は電力を供給する義務がある。
憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
電気事業法第18条 一般電気事業者は、正当な理由がなければ、その供給区域における一般の需要(事業開始地点における需要及び特定規模需要を除く。)に応ずる電気の供給を拒んではならない。
停電を実施すれば危機に陥る可能性がある停電弱者がいるのに計画的に電気を停めるのは生存権の侵害である。
無差別の計画停電は憲法と法に違反する。
電力不足を回避するために、省電力社会の推進と再生可能エネルギーよる発電を推進しなければならない。再び「計画停電」計画は出されてはならない。
2012年10月14日日曜日
アフガンに実る“奇跡の小麦”プロジェクトにノーベル平和賞を
2012年10月13日放送のNHK総合テレビ海外ネットーワーク「半世紀を超えて“奇跡の小麦”物語」を観て感動した。アフガニスタンは長引く戦火のため農業が壊滅状態になっている。もともと小麦の原産地で豊かな農業生産が行われていた土地だ。国の復興のために、農業の再生が必要だ。アメリカなどの外来種を持ち込んで小麦生産をおこなおうとしたが、乾燥した風土に合わずうまくいかない。そこで横浜市大木原生物学研究所が1955年から保存しているアフガンの小麦在来種150種近くを、アフガンで育成・品種改良するプロジェクトが2011年11月から開始された。その結果2012年見事に実をつけたと報道された。日本がなしとげた誇らしい国際貢献である。
故木原等博士が1955年カラコルム・ヒンズークシ学術探検をおこなった。その際パキスタン・アフガニスタン・イラン地で小麦在来種を採集した。それが横浜市大に保存されていた。地味な学術研究が57年経った今大きな成果を上げた。
学術研究を目先の利益にとらわれず進めていくことの重要性が痛感された。また小麦在来種の保存が食品巨大企業ではなく、公的研究機関で行われていたことをうれしく思う。もしアフガンの小麦在来種の種子と遺伝情報を食品巨大企業が独占的に持っていたとしたら、アフガンの復興は更なる困難を迎えたと思う。公的また非営利の研究機関が学術研究を大いに進められる状況をつくらなければならない。
ノーベル平和賞はオバマ大統領が受賞し、今年はEUが受賞した。この受賞は世界中がこぞって称賛できるものではない。アフガンに実る“奇跡の小麦”プロジェクトこそがノーベル平和賞にふさわしいと思う。
2012年10月13日土曜日
「われわれは機械ではない」全泰壱(チョン・テイル)の叫び
12年9月ソウルに行った。チョン・テイルの記念碑を見てきた。
全泰壱(전태일、チョン・テイル1948年8月26日生まれ)は、韓国における労働運動家である。彼は1970年11月13日韓国ソウル市で「われわれは機械ではない」、「勤労基準法を遵守しろ」と主張し、自らに火をつけて焼身自殺をした。22歳であった。「僕の死を無駄にするな!」と叫びながら死んだ彼の死は、軍事独裁政権下の韓国社会に大きな衝撃を与えた。
彼は大邱の貧しい家庭に生まれた。17歳でソウル市東大門市場の縫製工場に就職した。そこでは女性労働者の多くが劣悪な環境で働かされていた。労働運動に目覚めた。独学で労働法を学び、同僚と共に勉強会を組織した。工場における労働実態や労働環境について調査し、それに基づいて労働庁に陳情したり、雇用者と協議を重ねたりした。
「尊敬する大統領閣下!(略)私たちは勤労基準法の恩恵を少しも受けられず、しかも2万人余りを超える従業員の90%以上が返金年齢18歳の女性です。(略)また、2万人余りの中で40%を占める補助校は平均年15歳の子どもたちです。彼らはみな零細民の子弟であり、飢えと苦しい現実に打ち勝とうと1日に90ウォンないし100ウォンの給料を受け取りながら、1日15時間ずつ作業をしています。」(1970年清渓被覆労働組合員チョン・テイルが朴正熙大統領に送った嘆願書 韓国近現代の歴史 明石書店)
その結果が解雇そして警察の弾圧であった。それに抗議して彼は勤労基準法の本を焼き、焼身自殺した。
彼の死をきっかけに韓国の民主化闘争は激しさを増した。そして1980年の光州事件、1987年軍事独裁政権打倒に繋がっていった。
チョン・テイルの記念碑は東大門の近く、清渓川(チョンゲチョン)にかかる橋の上にある。すぐそばには露天で有名な広蔵市場(カンジャンシジャン)がある。平和市場(ピョンファシジャン)という衣服店街がある。そこが彼が働き、焼身自殺した場所だ。
記念日のチョン・テイルの像はまるで子供のような表情をしている。22歳よりも幼く見える。
チョン・テイルは高等国民学校15歳で中退している。労働運動を目覚めた彼は労働法を独学で勉強した。漢字の多い本を読むのに苦労した彼は「大学生の友人がひとりいれば」と口癖のように言っていたそうだ。
「大学生の友人がひとりいれば」という言葉は韓国の学生・知識人に大きな衝撃を与えた。自分たちは何をしてきたのか、そして何をするべきか。一人一人の社会的責任を問うことになった。
チョン・テイルは「僕の死を無駄にするな!」と言い残して死んだ。1948年生まれだから、彼が私より1年先に生まれている。1970年彼がなくなった時私は大学生だった。同じ頃、同じ東アジアに生まれた私が「彼の大学生の友人」として何をするべきか深く考えさせられた。ソウルに行かれたら、カンジャンシジャンの見物のついでに清渓川まで足をのばして記念碑を見てほしい。
お父さんとチョンテイル(原題:아빠와 전태일)
全泰壹烈士の映画-『美しき青年・全泰壱』より
2012年10月7日日曜日
イ・ハンヨル(李韓烈)記念館に行ってきました
2012年9月29日(土)朝、韓国ソウルにあるイ・ヨンハル記念館に行ってきました。イ・ハンヨル烈士と韓国では呼ばれています。1987年韓国の軍事独裁政権を倒した民主化闘争の引き金となった延世大学経営学科2年の学生です。警察の催涙弾の直撃を頭部にうけ、亡くなっています。
「母にとっては優しかった息子イ・ハンヨル、彼は大学生になってから80年度の光州民主化抗争と韓国社会の問題について悩む青年でした。1987年6月9日、彼は光州虐殺によって政権を握った者たちの権力延長を防ぐためのヨンセ人決意大会に参加したばかりに、警察が放った直撃催涙弾に撃たれ、生死の境に立たされます。
彼の消息を知った学生・市民たちは6月一ヶ月の間町に飛び出して、「ハンヨルさんを返せ」と、彼が叫んでいた“護憲撤廃独裁打倒”を叫びました。結局6月29日、その者たちは直選制受け容れると言う降伏宣言をすることになります。
7月5日、およそ一ヶ月の時間を病床についていた彼は、多くの人々の祈りにもかかわらず、ついにこの世を去ってしまいました。」(いつもあなたがいとおしい イ・ヨンハル記念館)
ソウル新村ロータリーにある記念館は民家を改造したと思われるこぢんまりとした4階建てです。3階と4階の烈士の遺品と6月抗争当時の写真が展示されていました。案内役の延世大学の学生さんは、「自分は大学生になってはじめてイ・ハンヨルを知り記念館に関わるようになった」と言っていました。「自分がここに来るようになって友だちも関心を持つようになり、記念館に出入りするようになった。」イ・ヨンハルの展示物を熱心に説明してくれました。1987年の韓国の民主化闘争を学生として戦った人は40代後半になっています。その世代に続く、現役の学生に会えてうれしく思いました。
1987年と言えば。
4月1日 - 国鉄が分割・民営化され、JRグループ7社が発足。
6月26日 - 日本の外貨準備高が西ドイツ抜き世界一へ
11月29日 - 金賢姫による大韓航空機爆破事件発生
12月16日 - 韓国大統領選挙が16年ぶりに行われ、盧泰愚が当選。
12月 日本のバブル景気開始
翌1988年9月ソウルオリンピックが開催されました。
日本がバブル経済で浮足立っていた時、韓国では苛烈な民主化闘争が戦われていたのです。
韓国の民主化闘争の歴史を学び、民主活動家や現役の学生と交流することが日本の運動にとって意味があると思います。
多くの方が訪問されることをお勧めします。
週末、夕方にも観覧可能です。予約ができます。
(02-325-7216/ leehy19870609@hanmail.net)
◎アクセス
地下鉄2号線新村駅8番出口から直進、ダズショウピングと新村韓医院の間で左折、80m先で右折、70mまっすぐ歩いて左側の白い4階建ての建物がイ・ハンヨル記念館です。
2012年9月26日水曜日
21世紀にふさわしいやりかたで領土問題に取り組もう
領土問題は東アジアの大きな国際問題になっている。しかし奇妙なことに、韓国政府は韓日間の領土問題の存在を否定している。日本政府は日中間の領土問題の存在を否定している。存在を否定しても領土問題は存在する。問題の存在を認めることが解決の第一歩である。
21世紀は民主主義の時代である。国際問題も各国国民が納得する解決が必要だ。それぞれの政府・国民は相手国の政府と国民を納得させなければならない。さまざまの意見を交わす必要がある。反対意見を知り理解することがとても重要である。
紛争解決に軍事力は絶対に用いないとの原則を確立しよう。軍事力の行使は関係国民に未来永劫消せない恨みを残す。
領土問題は重要な問題だ。しかし一つの問題に過ぎない。領土問題での意見の違いを留保しながら、お互いの最大利益である東アジアの善隣友好をすすめよう。経済・学術研究・文化・スポーツの交流をすすめよう。
善隣友好の大前提は過去の歴史認識を共有することだ。歴史的事実に真摯に向き合うことが大切である。謝罪・賠償にも誠実に対応する必要がある。
民間レベルの交流が大切だ。個々の民間人が深く結びつき、個々の問題での意見の違いはあっても人間的な信頼関係を持ちたい。抽象的な何々人ではなく、具体的な何々人である誰それを知ることが大切である。
すでに多くの人が当該国で生活している。その人々が不安な思いを抱いている思う。当然ながら民間人・民間施設に対する暴力は厳に慎まなければならない。政治指導者は外国に暮らす自国民と自国に暮らす外国人の安全・安心をあわせて守る必要がある。またそれを危険に晒すような軽率な行為をしてならない。
他民族を蔑視・侮辱する「愛国主義」は偽物である。多民族蔑視・差別の行き着くところは戦争である。戦争は自国民の最大の不幸である。自国民を不幸にする「愛国主義」はありえない。
他民族差別・排外主義を煽る動きを批判しなければならない。その動きを助長するような行動は慎まなければならない。とくに政治指導者の言動は慎重にされなければならない。
領土問題は非常にセンシティブな問題である。韓国は独島を実効支配している。また日本は尖閣列島を実効支配している。一方的かつ性急な現状変更は慎まなければならない。何世代もかけて議論するつもりの腰をすえた構えが必要だ。
領土問題と関連する具体的な漁業権・資源開発の問題は個別に具体的に交渉し関係国のそれぞれの利益が成り立つ解決を探る必要がある。
ドイツ・フランスを含めたEU諸国が領土問題を乗り越えた経験に学びたい。
小異を直視しながら、平和・繁栄・公正の大義を見失わず進もう。
2012年9月17日月曜日
ジョゼフ・マッカーシー と橋下徹
ジョゼフ・マッカーシー(1908年-1957年)アメリカの共和党選出の上院議員。マッカーシズムの言われた「赤狩り」で知られる。最近このマッカーシーと橋下徹大阪市長が対比して論じられることが多い。両者の相似と相違を整理してみる。マッカーシーについては「マッカーシズム」(R・Hロービア 岩波文庫 以下*1)を参考にした。
1、両者ともどうして政治家になりたいと思ったのかを語らない
両者とも経済的に貧しい家庭に生まれている。「二世政治家」が横行する昨今、このことは政治家として誇るべきことだ。しかし青少年期を通じて、なぜ・どのように政治家を志すようになったかを語らない。
橋下氏はタレント弁護士時代の著書「どうして君は友だちがいないのか (14歳の世渡り術)」で中学時代いじめにあい、他の不良グループの傘下に入りいじめをきりぬけたと述べている。これは一国を担う政治家の人生観とは違う。この本をだした2007年には政治家になろうとは夢にも思っていなかったのだろう。
語るべき大志があるのだろうか。あるとすればいつからどういう経緯でそう思ったのか。
2、両者とも天才大衆扇動家である。
偶然にも二人とも弁護士出身、相手を言い負かすことにたけている。「アメリカが生んだもっとも天分豊かなデマゴーグだった。(中略)またアメリカ人の深部に彼くらい的確に、敏速に入り込む道を心得ている政治家はなかった」(*1)「マッカーシーは絶叫者、ごろつき政治家、群衆操縦家、民衆の恐怖心の利用者であった」(*1)多くの大衆の支持を獲得した。マッカーシーは政府機関内の共産主義者を摘発することがアメリカの第一義的課題であるとした。密告が横行し、議会の一委員会が検察裁判所の役割をし、国民を断罪した。大統領・陸軍長官までをも攻撃しひざまずかせた。彼の顔色を窺わなければ公の人事が決められない状態になった。橋下市長については多くの言葉はいらない。
3、両者とも嘘を得意とする。
「マッカーシーは、真実が万人の目に明らかであっても、真実をどのように取り扱っているかを万人が見ぬき得る時でさえ、単純な心理を恥知らずにあくまでごまかす当代唯一の政治家だとしたら、その言は正しいと言えよう」(*1)マッカーシーは30歳で巡回判事に立候補した時、歴史上最年少の29歳の判事になると宣伝し、相手候補は73歳で(実際は66歳)高齢すぎると批判した。橋下氏は08年の大阪府知事選挙の際、選挙準備をすすめる一方で「2万%あり得ない」と否定していた。また原発再稼働反対言いながら、再稼働容認に転換したのも記憶に新しい。今回の日本維新の会の自分自身は国政にでないと繰り返し言明しているが、必ず衆議院選挙にでることになる。
4、両者の違うところは政権構想と組織の有無だ
「マッカーシズムは思想体系つぃての気概も実態も待たず、組織も持っていなかった」(*1)「マッカーシーは明日の朝のための計画も持っていなかった」(*1)ただただ騒ぎを起こし、自分の権力を高めたかっただけだ。ここがマッカーシーとヒットラーの違いだと「マッカーシズム」の著者R・Hロービアは指摘する。では橋下徹氏はどうであろう。日本維新の会を誕生させ「維新八策」という政策を打ち出した。まだヒットラーの突撃隊のような公然たる暴力集団を持っていないが、大阪維新の会に右翼が結集していることは事実である。
マッカーシーと橋下は多くの点で共通するものを持っている。しかし、橋下は政権奪取を「目前」にしている。マッカーシーはアメリカ社会に裏切りと幻滅という多大な傷を残したものの、私腹を肥やすペテン師として断罪され短命でおわった。しかし橋下は政権を握り、取り返しのつかない悪行をおこなう可能性が出てきた。もはや傍観は許されない。
佐藤優氏が橋下徹氏にファシズムの危険がないと断じたのは早計であるhttp://heiwayutaka.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4408.html
元サラ金御用弁護士橋下徹氏がなぜ天下国家を語るのかhttp://heiwayutaka.blogspot.jp/2011/10/blog-post_24.html
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