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2011年6月27日月曜日

仙台にて

 「東北はどうでした」。311日以降何人もの患者さんから聞かれた。私ならきっと真っ先に支援に出かけていっただろうと思っているのだ。阪神大震災の時は翌日から支援に行ったのだが、今回は毎日の診療にかまけて東北に行けずにいた。
 625日ようやく仙台に来ることができた。被災者を診察するでもなく、がれきのかたづけをするのでもなく、ただ被災地を見学に来た。後ろめたさを感じたが、自分の目で見たい、自分の耳で聞きたいとの思いで一泊二日の日程で来た。
 土曜の午後の伊丹仙台便は50%ぐらいの搭乗であった。その半数は支援者のようだ。仙台空港に着陸間近の飛行機の窓から見た太平洋は穏やかであった。テレビで見た荒れ狂った津波はどこにもない、311日以前の海だった。壊滅的な被害にあった空港は、急ごしらえの仮設の施設で営業していた。仮設の到着口兼出発口、仮設のトイレ、小さな土産物スタンド。急ごしらえの案内掲示。不慣れな道案内の職員。空港連絡鉄道は休止したままで、空港駅に停車していた。
 バスの中は乗客の9割が男性で奇妙な沈黙が続いた。カメラをだして写真を撮ろうとする人もいなかった。みんな緊張しているようだった。空港周辺のがれきはかたづけられており復興は進みつつあるのかと思ったが、すこし進むと逆さにひっくりかえった車、工場の庭に山のように積み上げられた車が見えた。高速道路の海側と山側で景色が違った。海側では田んぼのあぜ道に青々と雑草が生えていたが、田んぼは黒い土が露出し何も植えられていなかった。一方、山側では青々と稲の苗が育っていた。高速道路の盛り土が津波の被害を分けたのだ。
 仙台市街に入ると車が多く、交通渋滞もあった。駅周辺には、パチンコ屋もヨドバシカメラも普段どおりに営業していた。仙台市内には若い人が多かった。駅周辺に多くの若者がたむろしていた。ファッションもどこでも見られるものであった。これも311日以前と同じ光景なのだろう。でも大阪とは違って大声で騒ぐ若者は見られなかった。仙台駅は改修が中途で施設の応急処置がめだった。土産物売り場は仮設で、駅構内の天井の仮のパネルが目についた。そして「がんばろう」の掲示が目についた。復活した日常の中に、被害の非日常が同居していた。
 夜に訪れた繁華街も人が多くて驚いた。土曜日だからか。何軒かの店に満席で断られた。ようやく入れた店の人に聞くと、「最近、賑わいが戻ってきた。保険金が下りた人が多いのだろう。復興関係の長期滞在者も多い。」とのことである。同席してくれた仙台の知人の話では「被災地といっても、ここの人で事情が全く違う。棚からものが一つ落ちただけの人から、家族も家も失った人までいる。一口に復興といっても温度差があるんですよ。」実態はそうなのであろう。友人は付け加えた「自分は最も困っている人に寄り添い続けたい」と。
 翌日は仙石線で海の方にむかった。電車の中は大阪と変わらない。携帯メールをする人、勉強する人。列車の窓から外を見ると、きれいな家並みが続いた。でもその中に瓦の落ちた家、修繕工事中の住宅、応急処置後の駅舎が見られた。瀟洒な住宅街に仮設住宅群がひっそりと立っていた。
 中野栄駅で降りて、タクシーに乗った。運転手さんに「津波の被害に遭ったところを見たいのですが」と口ごもりながら言ったら、気持ちよく乗せてくれた。お客さんが屋上に避難して救出を待ったスーパー、救援が入れず死体が累々と放置されていると報道された住宅地、農業用ビニールハウスが次々と流された農村。テレビで聞き知っている地名が次々に出てきた。ここで多くの人が亡くなったと思うと胸が痛くなった。誰も住んでいない地域が続いた。海岸に密集して植えられていた松林は津波に流され歯抜け状態になっていた。そして流された松の大木がそこかしこに残っていた。運転手さんが「写真を撮ってもいいですよ」と言ってくれたが撮れなかった。一回りして中野栄駅に戻った。駅の近くのアウトレットモールが昨日から営業を再開し多くの人が集まったと聞いた。併設された大観覧車も運転を始めていた。ここにも日常が戻りつつある。被災地でも非日常と日常が混在していた。
 仙台は「ガンバロウ」の洪水であった。「ガンバレ」では上から目線が感じられる。「ガンバロウ」はそれよりはずいぶんましだが、そう言ってがんばれるのはまだ余裕のある人のような気がする。「ガンバロウ」は「こんなにがんばっているのに、まだがんばらなくてはならないのか」の気持ちをおこす。切羽詰まってじっとこらえている人にはつらい響きがあるのではないか。そんな気がした。日常に生きているものが非日常にいる人に対して言える言葉ではない。
  帰りの空港で見つけた「これからも宮城で」(キリンビールのポスター)「私たちはいつもそばにいます」(空港の寄せ書き)が心に残った。これからも最も困っている人のそばに居られるように感性を研ぎすましていきたい。


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