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2009年11月15日日曜日

適切な確定した名前のない事件「済州島4・3事件」

済州島を訪問して4・3平和財団の方の話を伺った。
いわゆる「済州島4・3」事件は3万人もの人が虐殺された大事件であるにもかかわらず適切なただしい名前のない事件とみなされているとのことである。
韓国では軍事独裁政権が続き事件は、言ってはいけない、 言えない歴史とされてきた。ようやく87年に民主化が実現し済州の歴史の真実を明らかにする作業が続けられている。

事件に関する名称をGoogleで検索してみると以下の結果になった。
 済州島4・3事件 114,000
 済州島43虐殺  23,100
 済州島43大虐殺 11.900
 済州島43民衆抗争 6,140
 43武装闘争      802
 Jeju massacre       6,280
  Jeju uprising         460

現在のところ済州島4・3事件が圧倒的に多いが、いろんな名称がつかわれていることがわかる。

韓国では単に「済州4・3」というような呼び方をしている。しかし4・3事件という名前では事件の全貌を表せない。いまのところ適切な名前のない事件、これが済州島4・3事件である。
正しい名前がなければこの事件は終結したとは言えない。

事件を 共産主義者の引き起こした暴動という見方がある。しかし殺害されたのは武装左翼と言う意見は、犠牲者の30%以上が老人子ども婦人であり。 その意見は成り立たない。

一方「4・3」は、済州島の民衆が祖国の統一と民主化のために闘った抗争である。4・3民衆抗争であるという見方もある。済州島では済州島4・3民衆抗争という民衆の運動を意味する呼び名がいいという意見も聞いた。
しかし抗争というのも犠牲者がすべて運動の参加者ではないので、済州43事件が適当という意見もあった。

討伐の強化、焦土化、死の島、島全体が巨大な監獄と化し、生まれただけで、住んでいるだけで迫害の対象となり3万人が虐殺されたのがこの事件である。
 
03年大韓民国大統領 盧武鉉は済州島民への公式謝罪の言葉で次のように述べた
「私は、今こそ、解放直後の政府樹立過程で発生したこの不幸な事件の歴史的な終結を果たさなければならないと考えます。 済州島で19473月1日を起点として194843日に起きた南労党済州島党の武装蜂起、そして1954921日まで続いた武力衝突や鎮圧過程で、多くの人々が無辜な犠牲を被りました。」
 
 事件の発端に南北分断の固定化に反対する済州島民の運動があることは明らかだが、事件の本質は国家によって「多くの人々が無辜な犠牲」者をつくった虐殺にある。
私はこの事件を済州島4・3虐殺と呼ぶのが適当と考える。

事件の適切な名前が確定することを期待する。

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