この本はなかなか重い本です。しかし読む価値のある本です。いわゆる「済州島4・3事件」を韓国で最初に扱った作品です。軍事独裁政権下の79年11月に出版されています。作者현기영 (ヒョンギヨン/玄基榮)氏はこの本書いたことにより逮捕され拷問を受けています。翌80年5月が光州事件です。87年にようやく軍事独裁政権が打倒され民主化が実現しています。
金石範訳の日本版には順伊おばさん、海龍の話、道、アスファルトの4編が収められています。
いわゆる「済州島4・3事件」とは、南北分断を固定化する単独選挙実施に反対した人々がおこした48年の武装蜂起にたいして米軍承認の下、当時の李承晩政権がおこなった三万人にも及ぶ済州島住民虐殺事件です。
「おしなべて二百にもならぬ武装暴徒を鎮圧するために全島を焼き払うとは。それこそ蚊に向かって刀を振り廻すようなものだった。そうして、二百をうんと越えて、五万が死んだ。」(海龍の話)「しかしそれは戦争などではなく、左翼暴動鎮圧だった。暴動鎮圧に五万以上もが死んだとは!」(海龍の話)
そんな事件があったにも関わらず、事実は長い間闇に葬られてきました。
加害者は権力をもって隠ぺいし、被害者は事件を口にして弾圧・殺害されることを恐れたのです。
「当然、加害者の襟元を摑かまえて堂々と憤怒を爆発させねばならぬのに、なかなかそれができなかったいまだにそれができない。アカの罪名をかぶされるのが恐ろしいのである」(海龍の話)「解放の直後、あの戦乱のなかで討伐隊に殺されたのは一人の良民もいない。すでに暴徒だけだという強弁が現在も通用している世の中なのだから、下手にそんな話を引っぱり出して、とんでもない誤解を受けたのでは、と恐れたのである。」(道)
ある場合は事実を意識下に押し込め、事件がなかったこのように生きてきました。
「私たちは真夜中のその鳥肌立つ啼き声の合唱がいやでいやでたまらなかった。祭祀の終わる時間を待ちながら聞いた、部落焼き払いの当時の、あの悲惨な話もいやだった。」(順伊おばさん)済州島出身であることも隠して生きてきました。
家族が多数殺されたにもかかわらずかろうじて生き残った人は、精神的に大きな傷を負っていました。
「彼女は1949年にあった部落焼き払いのときに深い精神的な傷を負い、火に怯えた者は火搔きを見ても怯えるの譬えどおり、遠くで軍人や巡警(巡査)の影がちらりとしただけでも怯え、道を避けていた神経症状が以前からあったのである。」(順伊おばさん)「順伊おばさんは1カ月半前に死んだのではなくて、すでに30年前のその日、その畑で死んだのではないかと。」(順伊おばさん)
心ならずも虐殺側に加担した人も少なからずいました。
「おのれの潔白を強弁するために過剰行動から過剰忠誠を示した人たちが少なくなかったのは、悲しいことだった。」(道)
そして心に痛みを残しました。
「私は罪深い人間ですだ。これをご覧下さい。この骨だけ残った躯、罪の代わりに天罰が当たったもんです」(道)
そして真実を明らかにしたいという意思も脈々と保持されてきました。
「かえって忘れはすまいかと気を配り、祭祀の日ごとに集まり寄って話を交わし、当時のことを記憶にとどめておくのだった。」(順伊おばさん)
「二度とこんなことが起らんように警鐘を鳴らす意味からでも、かならず明らかにせねばなりません。」(順伊おばさん)
「怯えるのではなく、炎のように怒り、そして恐ろしく憎悪せねばならない。」(海龍の話)
その意思が軍事独裁政権打倒民主化の大きな推進力になりました。
21世紀ではこれ以上の虐殺事件を起こさせないために、この本を一読されることをお勧めします。
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