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2009年12月6日日曜日

田尻俊一郎先生のこと

田尻俊一郎先生。
1928515日佐賀県生まれ。
458月長崎で入市被爆。51年京都大学付属医専卒業。
52年以降大阪民医連の院所で勤務、一貫して働く者健康問題に取り組み、79年には淀協社会医学研究所を設立された。
1981年に大阪過労死連絡会を設立し、世界に先駆けて過労死問題を提起されその根絶に邁進された。

その田尻先生が0994日に逝去された。

私は「よろしく頼むな」と何度、田尻先生に手を握られ頼まれたかわからない。
社医研の今後のこと、そして大阪民医連の今後のことである。
なかなか期待に応えられないまま今に至っている。

田尻先生がいるから大阪民医連に来た医師が少なくない。
「生活と労働の視点で患者を診る」
「働く者立場に立って診療をする」
そんな言葉を学生時代に聞いて夢を持って民医連に飛び込んできた医師が何人もいる。

働く者の立場に立った医療を実践で貫かれたのが田尻先生だった。
それは労働者の実態を現場で見る、生の声を聞く、そして仕事で命をむしばまれている事実に労働者とともに怒りを持って、医師として仕事をする。
それが田尻先生のスタイルである。

医学と医療技術の進歩と日本の低医療費政策は、医師を診察室と医療機関に縛り付け長時間過重労働に忙殺し医師自身の過労死を引き起こす事態となっている。
その中で医師が現場を見、そして社会的事実を体験・理解することができにくい状況が生まれている。
要請される仕事の分野が広がり田尻先生の様に産業医学一筋には生きにくい時代となっている。

だからこそ田尻先生の思いと業績を若い世代に伝えていく必要があると思う。
田尻先生がしてきたようにいつまでも青年のようにロマンを語り続けけることが大切だ。

田尻先生の奮闘にかかわらず、過労死過労自殺は減る気配を見せていない。
過労死は根絶しなければならない。
「田尻先生、先生の仕事は立派に受け継ぎます」と先生に誓いたい。

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