「貧弱な社会保障制度・経済施策のために生活が困窮し、受療権・介護を受ける権利が侵害されている実態です。かつての医療費相談では、対象者は無保険、国民健康保険の方が大半でしたが、現在は社会保険の方も多く、保険種別に関係なく、生活困窮の深刻化がうかがえます。」現在の日本で医療が必要でお金がないために医療が受けることができない人がいることが報告されています。
日本の経済がいかに大変でも、このような状況は不公正の極みです。政府民主党が言辞をろうし「税と社会保障の一体改革」と叫んでも、金のあるなしで人のいのちが左右される事態を放置していれば、増税が社会保障の充実につながるとはだれも思いません。今年の10月中国で、交通事故で瀕死の子どもが放置された事件が話題を呼びました。医療へのアクセスが制限されている状況を知らん顔していては他国民を批判することはできません。
資料 「医療費・介護費相談及び無料低額診療事業利用者分析調査報告」全日本民主医療機関連合会 ソーシャルワーカー委員会 より
<死亡のケース>
会社の寮に住み、食堂のまかないの仕事をしている。胃の不調があったが、市販薬でやりすごしていた。資格証発行されており、受診が出来なかった。役所で1万円を支払い6ケ月の短期証を発行してもらい、ようやく受診。外来で胃カメラをして、胃癌と判明。余命数ケ月と思われた。入院後、手術をするが、その後状態悪化。入院後12日で死亡。入院し、生活保護を申請した。(66 歳 男性)
ホームレスの方。年末から体調悪く、何度か当院の前まで足を運んでいたが、受診する勇気なかった。救急搬送後、3日で死亡。(67 歳 男性)
もともと他院で通院、入院歴ある人だが、社会保険のある会社を退職後、保険加入せず中断していた。
当院初診で早期受診するも、3時間後に死亡。音信不通だった他件在住の家族と連絡とれ分割払いとなる。(46 歳 男性)
2011 年2 月に腹痛があり、食事が摂れなくなり、当院へ時間外外来受診。無保険であり、医療費の支払いが困難であると相談あり。ご本人は、アルバイトをしていたが、最近は体がしんどくて、働けなかった。貯金を切り崩して生活していたとのこと。外来受診と同時に国保証発行と生活保護申請を行う。初診後、1ヵ月ほどでお亡くなりになる。(60 歳 男性)
17 年程前から飯場の寮で生活している。収入は月により変動があり、寮費を除くと手元にお金がほとんど残らない状態。年金、貯金はない。外来受診・入院の費用の支払いが困難と相談あり。10 月7 日入院時に生活保護申請し、生活保護受給となる。癌性胸膜炎が見つかり、12 月11 日お亡くなりになる。(61 歳 男性)
借金返済に年金をあてているため生活が苦しく、タクシー運転などで働いているが収入は少なく、国保料を2年滞納。無保険の状況であったが、体調の悪さを感じ受診したところ、胃癌の診断を受け、入院が必要と言われたということで相談に来られる。なけなしの5,000 円でとりあえず国保証を発行してもらい、減額認定証の申請も行なうが、手術で転移がみつかり、一カ月ほどで本人は亡くなられた。(68 歳 男性)
タクシー運転手の夫との2人暮らし。救急車で搬入された時、肝硬変にて入院。夫とは離婚して、自分は保険加入もなく収入もないとご本人は言っていたが、入院後、夫のタクシー会社を通して数日後にやっと夫が来院。まだ離婚届を出さず、手元に持っているので妻も社会保険の家族の資格あることがわかる。しかし、夫の月収は8万円で入院費は払えないと相談を受ける。夫が生活保護の申請に行き、生保決定。その頃にご本人は死亡。(68 歳 女性)
本人は長年障害かかえながら介護サービス利用し、療養生活送ってきた。当時より借金あり、医療、介護費未払い続き、援助の途中で死亡。家族との相談続けており、残った医療・介護費の支払いについて再び相談。本来は本人の年金18万あるのだが借金(年金担保)との相殺で半分の9万となっていた。(80 代 男性)
自宅でコンピューター関係の仕事をしていたが、仕事がなく収入が減って借金返済もあり、国保料を月2、3~4万円分納していた。(収入申告していなかった為、国保料が5万ちかくになっていた)それでも資格証だったため、受診できず、病状は進行し当院受診した時はガンの末期で予後1、2カ月という状況であった。収入、貯金ゼロのため生保申請し治療開始2カ月後死亡。(55 歳 男性)
心不全(重度)にて救急受診。生命の危険があるため、救急入院をすすめるも、本人経済的理由で家に一人でいる認知症の母を心配して入院拒否。ケアマネージャーの説得で、生活保護に事情を話して
医療費の心配がなくなり、しぶしぶ入院に納得される。次の日の朝、病状急変し、当院にて永眠。具合が悪くても本人が受診をずっと拒否していたケース。退職したばかりで保険の加入もなかった。(42歳 男性)
2011 年2 月23 日当院初診。1月下旬から下痢が続き、食欲も低下していたため3 月1 日知人の付き添いのもと受診となり、精査入院。3 月2 日医療相談室へ来室し、生保申請の希望確認。もともと仕事(収入)少なく、無保険だった、また家族とも疎となっており、同日生保申請し、3 月1 日分は国保加入も検討したが医療費を保険料が上回るため自費で支払う形となった。診断は直腸癌で末期であり、3月18 日入院中死亡。(56 歳 男性)
夫婦、三男の3人暮し。肺癌で入院。前医で差額ベッド代多額に。支払い貯金が底をつく。家族の収入のみでは療養病棟は選択できず、かといって日中等パートで不在で、全介助、癌末期の方の在宅介護も困難という状況。土建国保の貸付け利用しながら、転院の話になったが、当院でお亡くなりになる。(67 歳 男性)
30 歳頃知人の喫茶店の手伝いのため○県へ移り住むが、経営不振で喫茶店を閉店。妻と離婚、子ども二人いるが音信不通となっていた。15 年ほど前から代行業へ住持、スーパー銭湯や代行の事務所に寝泊まりし生活をしていた。2010
年の6 月頃から腹水、下肢浮腫を自覚、9 月になり食事がほとんど食べられなくなっていたが本人は「保険証がない」「税金を払っていないのだから生活保護には世話になれない」と受診をためらっていた。見かねた友人が当院へ相談、10 月17 日初診、入院し生活保護申請に至った。受診当日も下肢浮腫、腹水がひどく、るいそうも見られたが「働かないと生活ができない」と代行の仕事へ行こうとしていた。C型肝炎および肝硬変、肝がんの診断で、7cm を超える腫瘍がみつかった。入院から6 日後に急変、多発性肝硬塞疑いにて逝去された。(数十年間受診したことがなかった。)(71 歳 男性)
約半年前に会社を解雇され、その後行方不明となり、兄が捜索願を出していた。車中生活をしている所保護され、家族が引き取りに行き、体調不良だったため当院受診し、そのまま入院となった。受診時保険証所持しておらず、国保加入手続と限度額認定の手続を行ったが、6日後に急変し、死亡退院となった。(42 歳 男性)