大阪府堺市西区で診療所に勤務する医師です。09年10月17日よりYAHOOブログより引っ越しました。
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2011年9月22日木曜日
来年夏の電力不足対策のための国民的議論と準備を開始しよう
野田首相は今年の夏の電力不足は乗り切れた。冬もなんとかいけるだろうが、来年の夏は原発再稼動なしにには乗りきれないと述べた。原発再稼働宣言だ。
原発に関しては脱原発・減原発など意見が分かれている。潜在的核武装=核抑止のために原発を温存しようという読売新聞社説や自民党石破議員の奇異な見解は別として、原子力に依存しないエネルギーを確保していく点で多くの意見は一致している。
原発についての見解は別にして、来年の夏の電力不足をどう対応するのか。立場を超えて議論するときだ。省電力の可能性はもっとないのか。電力需要の削減・分散はどこまで出来るのか。現在の発電能力はいかなるものか。潜在発電能力はないのか。来年夏までに新たに開発できる発電能力はどれだけあるのか。中期的な新規発電計画はどう推し進めるべきか。そしてその実施状況はどうか。議論をしよう。心を一つにして対応したい。
野田首相の原発再稼働宣言は不見識である。訪米の手みあげに再稼働を宣言するのは情けない。日本国民の力を信じよう。
2011年9月21日水曜日
再稼動することが決まっている原発ストレステストなどありえない
野田首相は米紙ウォールストリートジャーナルのインタビューに対して「原発再稼動なしに来年の夏を迎えることは絶対にない」と断言した。理由は再稼動がないと、電力不足になり経済が打撃を受けるからと述べた。再稼働宣言である。
電力不足になるかどうかの議論はひとまず置いておく。安全性の確認もできていない現在の時点で必ず稼動するとなぜ断言できるのか。その根拠を明らかにする必要がある。
首相は再稼動の前提として安全性についての住民の納得が必要と述べている。「安全性」を確認するために「ストレステスト」をするのではなかったのか。再稼動を断言できるのは、実施していない「ストレステスト」に合格することがすでに決まっているということか。
経済の発展の為にという錦の御旗の前に安全安心を犠牲にするのでは自公政権となんの違いもない。そんな再稼動宣言には国民は同意しない。
電力不足になるかどうかの議論はひとまず置いておく。安全性の確認もできていない現在の時点で必ず稼動するとなぜ断言できるのか。その根拠を明らかにする必要がある。
首相は再稼動の前提として安全性についての住民の納得が必要と述べている。「安全性」を確認するために「ストレステスト」をするのではなかったのか。再稼動を断言できるのは、実施していない「ストレステスト」に合格することがすでに決まっているということか。
経済の発展の為にという錦の御旗の前に安全安心を犠牲にするのでは自公政権となんの違いもない。そんな再稼動宣言には国民は同意しない。
映画「神様のカルテ」幸せと言える逝き方
医者になって35年、死亡診断書も数えきれないほど書いてきた私が「神様のカルテ」を見て心を動かされた。医者人生もそろそろ終わりに近づいているが「医者という仕事はなかなかいいものだ」と思った。この映画を見たのは偶然だった。たまたま時間があいて、ネットで調べるとこの映画しか時間が合わないので見ることにした。「神様のカルテ」というベストセラー小説があったこともそれが映画化されたことも知らなかった。ましてや主役の櫻井翔の名前もそれが何者かも知らなかった。元来医者モノや病気ものは見ないことにしていた。
舞台は松本。勤務5年目の青年内科医・栗原一止(櫻井 翔)は、医師が不足しながらも「24時間、365日対応」で大勢の患者を抱える本庄病院に勤めている。その病院での激務。どこの第一線病院でも見られる光景が繰り広げられる。一止は医師としてこのままのここで仕事を続けていていいのか、それとも「良い医者」になる為に最先端医療が学べる大学医局に戻るのがいいのか悩む。そんな時、彼の前に大学病院から「あとは好きなことをして過ごして下さい」と言われた末期ガン患者・安曇雪乃(加賀まりこ)が現れた。治らない病気を治すのも医師の仕事だが、治らない病気で死んでいく患者に寄り添うのも医師の仕事だ。医師としてどんな生き方をするのかそれをテーマに物語は進む。
安曇さんは「でも、最後の最後にこんな幸せな時間が待っていたなんて、本当に人生というものはわからないものです」と言われた。この言葉にすべては言い尽くされている。死に臨んで感謝の心をこめて幸せだと言えるようになる。「ありがとう」と逝くものも残るものも言えるようになる。その手伝いができる仕事は素晴らしい。実際はそのような場面は少ない。
安曇さんを演じた加賀まり子は非常によかった。若いころの加賀まり子のイメージも鮮明に残っているからこそ余計にいい年寄りになったと思える。私よりすこし年上だが単身で死を目前にした高齢者の苦しみと悟りをうまく演じていた。いま「老い」本が数多く出版されているがこの映画をぜひ見てほしい。安曇さんのように逝きたいと多くの人が思うだろう。
私の年になるともちろん医師としての将来に迷いはない。残りの医師人生がどれだけあるかはわからないが、一止が安曇さんにしたように患者さんに寄り添いたい。
2011年9月20日火曜日
9月19日脱原発集会 マスコミ各社報道ありがとう
9月19日東京で行われた脱原発集会が成功することを願っていました。報道によると集会には主催者側の発表でおよそ6万人が集まり、呼びかけ人となったノーベル賞作家の大江健三郎さんや、経済評論家の内橋克人さんらが壇上に立ったとのことです。
わたしは参加できませんでしたが、予想どおりの成功です。私はマスコミ各社がこの集会をどう報道するか注目していました。テレビ各局は夕方のニュースで、新聞各紙は20日の朝刊で報道しました。これまでマスコミは万単位の人が集まる集会があっても黙殺することが多かったです。現場に取材記者が来ても記事にならないことが多かったです。しかし脱原発の運動に関しては扱いが違うようです。
朝日の伊藤千尋記者は、「新聞には現場の記者の考えや意向が必ずしも反映されない。だからこそマスコミはダメだと批判するだけではなく、よい記事が出た時には積極的にほめてほしい」と言っていました。今回の集会報道はよかったです。ありがとうございます。
マスコミ各社は脱原発を目指す運動を引き続き公正に報道されることを期待します。またマスコミ各社がそれぞれが自己分析をし、「マスコミが原子力村の一員」であったとの指摘についての見解を明らかにすることも要望します。
大江さんは「『原子力によるエネルギーは必ず、荒廃と犠牲を伴う。私たちはそれに抵抗する意志を持っていることを、政党の幹部や経団連に、デモで思い知らさねばならない』と呼びかけました。」(朝日新聞)発言されました。
引き続き、署名・集会・デモで私たちの意思を表明していきましょう。マスコミは報道でその社会的使命を果たしてください。
マスコミ各社は脱原発を目指す運動を引き続き公正に報道されることを期待します。またマスコミ各社がそれぞれが自己分析をし、「マスコミが原子力村の一員」であったとの指摘についての見解を明らかにすることも要望します。
大江さんは「『原子力によるエネルギーは必ず、荒廃と犠牲を伴う。私たちはそれに抵抗する意志を持っていることを、政党の幹部や経団連に、デモで思い知らさねばならない』と呼びかけました。」(朝日新聞)発言されました。
引き続き、署名・集会・デモで私たちの意思を表明していきましょう。マスコミは報道でその社会的使命を果たしてください。
2011年9月19日月曜日
橋下知事!これでもやるのか「教育基本条例案」 府教育委員全員が批判
9月19日付の赤旗によると大阪府の教育委員全員が橋下知事の率いる大阪維新の会が提出する「教育基本条例案」を批判したとのことです。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-19/2011091901_02_1.html
記事によると各委員は以下のように発言しています。
「やってはいけないということをやっている。横暴としかいいようがない」「こんなもので先生のやる気があがりますか。学力があがりますか」「一国民として言うと、政治家としての資質が問われている。政治が教育を振り回すという一番問題のことをしている」陰山英男委員(立命館大学教授)
「教員は決められたことはやっている」「教育は教師の誇りと情熱で支えられている。それを配慮せず、管理と処罰では壊れてしまう」小河勝委員(大阪樟蔭女子大学講師、元中学校教師)
「教育現場を無視している。任期付きで校長はできない。従わなければ処分では現場はなりたたない。あまりに乱暴」「相対評価など、あり得ない。学校はどうしたらよくなるかを先生みんなで協力してやらないとよくならない」中尾直史委員(学校法人雲雀丘学園理事)
「何より子どもがむちゃくちゃになる。(教育委員の)総辞職しかない」川村群太郎委員(ダイキン工業役員)
これでも「教育基本条例案」をムリ押しするのか。ダブル選挙で「府民は橋下を支持した、自分は強権を信託された」と言わせてはならない。ハシズムをスットプしよう。
2011年9月17日土曜日
どうすれば原発存続を正当化できるのか
福島の原子力発電所の事故以来原子力発電所を廃止しようと言う意見が強まっている。しかし、経済界・政界のなんとか原発を存続したいとの意向も根強い。原発存続派はどんな論法を用いるのであろう。
1,日本の原発は多重の安全措置が取られており安全だ。
これは従来の安全神話だ。通用しない。
2,福島の事故を経験して、震災や津波の対策をした。今回新しいストレステストをクリアした。安全性には問題ない。
どんなテストが安全性を保証できるのだろうか。どんな学者がどんな理論で証明するのだろうか。
3,多少の危険はあるが、原発がなくなり電力不足になるとその損失のほうが大きい。
これが主要な論点になるのだろう。原発を廃止すると本当に電力不足になるのか。代替策はないのか。電力を確保するために危険と被害は甘受すべきなのか。
情報を収集し、自分の頭で考え、よく議論し、結論をだそう。1945年の敗戦以来初めての大きな選択をする時だ。
「原発の維持は国益だ」
9月16日づけの朝日新聞は上の見出しの記事を掲載している。15日に階差された「ポスト3・11」の日本再生の道筋を探る「朝日地球環境フォーラム2011」(朝日新聞社主催)での服部拓也氏(日本原子力産業協会理事長)の発言要旨だ。
1、福島事故前は原子力が安定供給の柱だった。
2、今後、電気は三つの要素(安定供給、環境性、経済性)に「安全性」を加えた四つの要素を同時に達成する電源構成が必要。
3、エネルギー政策は国の根幹なので、国民にも責任ある関与が求められる。
4、将来も原子力という選択肢を維持、確保することが国益にかなう。
エネルギーの安定供給は国益だ。電力の安定供給に原子力発電はかかせない。国益を守るために原子力発電の維持・確保しなければならない。
原発維持論者の論点は単純だ。「原発がなければ電気が足りなくなる」である。この点について国民は「責任ある関与」をして議論しよう。
「原発がなければ電気が足りなくなる」は真実か。よく考えてみよう。
2011年9月15日木曜日
野田首相から「公」につくす覚悟をもてと言われたくない
野田首相は施政方針演説で「私たちが、決して、忘れてはならないもの」として、住民のいのちを守るために奮闘され結果的には自らのいのちを失った南三陸町の防災職員の事例に言及している。「彼女たちが身をもって示した、危機の中で『公』に尽くす覚悟。」の中に「日本人として生きていく『誇り』と明日への『希望』が、ここに見出せる」と述べた。原発事故収集に奮闘する作業員に対しても同様に述べた。
国の指導者から「危機の中で『公』に尽くす覚悟」を強調されるのは非常に不愉快である。個々の人間が、自分の家族や知人や地域を守るために自らのいのちを顧みず奮闘することは素晴らしいことだと思う。しかし国の指導者が口にする「公」は家族や知人や地域と同じであろうか。わざわざなぜ「公」がここで出てくるのか。安全な高みから指導者が「民」対し「公」に尽くせというのは、滅私奉公の焼き直しだ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(日本国憲法)
「民」に奉仕する指導者こそ国民の幸福を追求する権利に守り抜く立場を表明しなければならない。
原発依存継続派の攻勢が始まった 野田首相の所信表明は原発存続宣言
9月13日の野田首相の所信表明は原発存続宣言だった。福島を経験しどうしても原発は廃止しなければならないという我々の願いに真っ向から対立する姿勢を明らかにした。脱原発をめざし一気に運動を強め、原発維持派の反攻を押し返えそう。
野田首相は「原子力発電について、『脱原発』と『推進』という二項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべきです。同時に、原子力発電について、「脱原発」と「推進」という二項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべきです。同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます。については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます。」すなわち原発はなくさない、原発は再稼働すると明言した。
野田首相の原発政策は矛盾している。
「安全性を徹底的に検証・確認された原発」がありうる。だから再稼働する。
もし安全な原発が存在するならばなぜ「中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指す」のか。依存度を引き下げる必要はないのではないか。依存度を引き下げるのは、「安全性を徹底的に検証・確認された原発」は存在せず、原発は危険だからではないか。危険だが「経済」のためには原発が必要と言いたいのだろう。承服できない。
脱原発は圧倒的多数の国民の考えである。しかし原発存続を目指す動きが始まっている。脱原発の意思を形として表明するときである。まず集会を、デモを成功させよう。脱原発署名を集めよう。一刻も早く一千万筆を集めよう。第二の福島がおこり再び後悔することがないように、今頑張ろう。
2011年9月6日火曜日
やっぱりおかしい橋下知事 9月6日「教育基本条例案」「職員基本条例案」を許さない府民集会に参加して
大阪市内で開かれた集会に参加した。参加者が非常に多く通路に座り込む人、会場外のエントランスホールで聴く人が沢山おられた。教師の人が多いような気がした。若い人もたくさん参加していた。「今度は頑張るぞ」という感じの元気な人が多かった。私は教師の方をたくさん診察している。私の患者さんには子供は大好きだがストレスいっぱいで疲れ果てたという方が少なくない。でも元気な人も疲れた人も、今回の「教育基本条例案」「職員基本条例案」はおかしいと思っている。
「教育基本条例案」「職員基本条例案」は簡単に言えばこういうものである。知事は選挙で「民」に選ばれた。だから教育委員会も教師も府の職員も「民」に選ばれた知事の命令に従って動け。命令に従わないものは解雇する。学校は競争しろ、競争に負けた学校はつぶす。
この「条例案」に非常な違和感を感じる。たしかに知事も府会議員も選挙で府民に選ばれた。しかし選挙では、任期中の全ての政策が明らかにされ、そのすべてに選挙民が賛成して投票できるわけではない。それどころか一つのキャッチフレーズが投票結果を左右されることが多い。ましてや選挙が終わると民主党政権に見られるようにマニフェストが完全に投げ捨てられることも起こっている。それが現行の民主主義の実態である。だから選挙よって民の信託を受けた自分(達)に、すべてのものは従う義務があると言うような振る舞いするのは間違いだ。それではまるで王権神授説ならぬ、王権民授説を主張するようなものだ。選挙で選ばれた知事や府議会の多数派は皇帝でもなければ、支配階級でもない。特に教育を知事や議員が支配してはならない。
公務員が従う義務のあるものは日本国憲法である。憲法に反する命令に従う義務はない。教育と教師は憲法と教育基本法に従うべきであり、その他の不当な支配に従う必要はない。
橋下知事の考え方は尋常でない。危険だ。「教育とは2万%強制です」(6月12日ツイッター)「起立しない教員は意地でもやめさせる」(5月17日記者会見)「今の日本に必要なのは独裁」(6月30日パーティにて)
府民の不満を受けて知事に選ばれた橋下氏であるが、勝ち組の匂いぷんぷんの強者のチャンピオンである。教師と府職員をしもべにすることを手始めに、ゆくゆくは「皇帝」になることを夢想している。感性を研ぎ澄まし、「皇帝」を拒否しよう。
橋下知事の自己責任論
橋下知事の福祉医療制度改悪に反対します
橋下知事の高支持率と在阪マスコミ
大阪府庁はWTC移転では防災拠点としての役割ははたせなくなる
大阪府庁のWTC移転を熱望する橋下知事への提案
サッカー日本代表「君が代」に敗れる
http://heiwayutaka.blogspot.com/2011/05/blog-post_26.html
http://heiwayutaka.blogspot.com/2011/08/wtc.html
2011年9月4日日曜日
福井原発群の前に立って
美浜原発 |
もんじゅ入構証 |
福井には14基の原発がある。今新たに2基が準備中だ。福島の10基より多い。福井は世界有数の原発密集地だ。
福井で働く医師の話を聞いた。「自分は95年のもんじゅの事故以来原発反対の運動をしてきたが、今回の福島の原発事故を経験してつくづく自分は体制内の反対派だったと思った。自分も過酷事故は起こらないという原発安全神話にとらわれていたと思う。」この悔恨の思いが多くの人にある。それだからこそ今回の原発ゼロの運動はこれまでの運動と違う。続けて医師は言う。「自分は原発ゼロを目指すが、敦賀の人は身近に原発関係者がおりすぐ原発をなくせとはいえない状況だ。」雇用問題は無視できない。基地問題と同じだ。でもドイツでは脱原発で雇用を増やすと言っている。雇用政策が必要だ。
「敦賀原発PRセンター」「美浜原発PRセンター」を見学した。天気が悪いせいか見学者は少なかった。センターの女性の案内人に「最近、見学者は多いですか」と聞くと、「福島の事故以降多くなっています。お勉強に来る方が多いです。」と、原発反対派の見学が多くなっていることをほのめかした。私も「福島をくりかえすな 原発をなくそう」というバッチをつけての見学だ。案内人としてはやりにくいだろう。なにがしか表情が固いように見えた。館内の線量モニターが0.182μSV/hとなっているので、「室内にしては少し高いのではないですか」と聞いた。案内人は「そうですねこの辺は花崗岩が多いから。それに福島の影響もあるのでしょうか。」とさらりと言った。彼女たちは型どおりの原発PRをするが、原発の安全性についてどれだけの確信があるのだろうか。
福井原発群は14基中8基が1970年代竣工のものだ。展示の説明を見ると老朽化ではなく経年化だと説明している。部品を取り換えているので老朽化はせず年代物になっているというのである。いつまでも使い続けたいとの意図が見えている。コンクリート製の施設をワインかウイスキーのように言っている。ワインやウイスキーはどんな高価な年代物でも飲めばそれで終わりである。いつまでも使い続けたいとは驚きである。アンチエイジングに狂奔する有閑マダムの果たせない願いみたいだ。どんな詭弁を弄してもこれを正当化するのは無理である。
次にもんじゅの見学をした。エムシースクエア(PRセンター)の見学だけでなく発電所内に入れるということでセキュリティーチェックが厳しかった。1週間前に予約が必要で、当日は運転免許書かパスポートなどの顔写真のある身分証明証が必要だった。身分証明証の提示と引きかえにパスカードをくれた。もんじゅ構内に入るには、発電所側の車に乗り換え960mのもんじゅ築道を走り、もんじゅの正門につくと車に守衛が乗り込んでパスカードをチェックした。それからようやく構内にはいり、トンネルを抜けると再び門があり機動隊の装甲車が一台そして機動隊の詰所の建物があった。屋外には機動隊員の姿は見かけなかった。さすがにプルトニウムを扱う原発の警備体制は厳しい。説明では2001年9月11日のWTCテロ以降警備を強化したとのことである。でも何か形だけのような気がした。空港でおこなわれている、バックのチェックもなく金属探知器でのチェックもない。もし見学者の集団が武器を持って入場すれば発電所を占拠することは可能なような気がした。飛行機の突入やミサイル攻撃にどう対処するのかと聞いたが、「想定していない」との返事であった。核テロなどないと言う安全神話にとらわれてるようだ。核兵器の材料であるプルトニウムが多量にあるもんじゅはテロの格好の標的だ。もんじゅをなくすのが一番の安全対策だ。
電力会社は依然として福島原発事故以前と同じ宣伝をしている。福井の原発は福井で使う電気ではなく大阪で使う電気を発電している。それを大阪府民の私は毎日使って生活している。そうすることで原発事故の危険を日々福井の人々に押し付けている。
帰路、車の窓から原発を見た。水素爆発をして崩壊した福島原発の姿が重なって見えた。そうなる前に必ず原発をなくしたい。そう思った。
帰路、車の窓から原発を見た。水素爆発をして崩壊した福島原発の姿が重なって見えた。そうなる前に必ず原発をなくしたい。そう思った。
2011年9月3日土曜日
自分が知らないこと知り、知ろうとする努力を続けることが大切だ
台風がそれてよかったと思うのは心根が卑しい。台風の直撃をうけて被害を受けている人のことを忘れている。
エレベーターに乗ると急いで扉を閉めるボタンを押すのは不作法だ。閉まった扉の外で誰かが取り残されているかもしれない。 ましてや日頃、省エネルギーを唱えているならなおさらだ。
高名な作家が「最近、地震災害などがあると、テレビに『頭が真っ白になって、何も考えられない』と話している被災者が必ず登場します。揺れている間は、頭が真っ白になって何も考えられなくても、揺れがおさまればどうにか考えられるものです。どうして、おにぎりやパンの配給があるまで、呆然となすところなく座っているのか、不思議でなりません。」(曽野綾子 老いの才覚 ベスト新書)と書き、自分なら自力で材料も道具も調達しご飯を炊くとしている。現実を何も知らない。浅はかかつ高慢だ。被災地でそう言ってみればいい。
人間は自分の知識と体験の枠内でしか考えられない。もちろん自分で考えることをしないで人の考えに従っているよりはましである。しかし自分の考えと行動は、不十分であるかもしれない、間違っているかもしれないと思っていることが必要だ。
逆にほかの人は自分のことを誤って理解しているかもしれない。もっと自分から情報を発信することが大切だ。IT時代といわれ一人一人が世界に情報を発信することが容易になっている。自らが発信することが相互理解の前提である。
自分が知らないこと知り、知ろうとする努力を続けることが大切だ。
2011年9月1日木曜日
藤田スミさんの声が聞こえる気がします
藤田 スミさんが存命ならこの情勢のもとはりきって活動されていることでしょう。あの澄みきった声の藤田節がそこかしこに響き渡っていると思います。
藤田さんは1973年から大阪府議を務め、1979年から衆議院議員、2000年議員を引退。以降地域の活動家として奮闘。2011年3月31日享年77歳で死去されました。生涯を通じて平和と環境と農業を守る運動のシンボルでした。
21世紀初頭の今、核廃絶・脱原発をめざす意志は大河の流れのような力強さを持って広がっています。この先10年という単位で考えれば大きな花が開くと確信します。
藤田さんならあの笑顔を見せながら「おもしろい情勢や。頑張ろう。」と言われ るでしょう。街頭で署名活動をしていると藤田節が聞こえるような気がします。堺泉州の民主運動を発展させ、次に受け継ぎたいと思います。
藤田さんは1973年から大阪府議を務め、1979年から衆議院議員、2000年議員を引退。以降地域の活動家として奮闘。2011年3月31日享年77歳で死去されました。生涯を通じて平和と環境と農業を守る運動のシンボルでした。
21世紀初頭の今、核廃絶・脱原発をめざす意志は大河の流れのような力強さを持って広がっています。この先10年という単位で考えれば大きな花が開くと確信します。
藤田さんならあの笑顔を見せながら「おもしろい情勢や。頑張ろう。」と言われ るでしょう。街頭で署名活動をしていると藤田節が聞こえるような気がします。堺泉州の民主運動を発展させ、次に受け継ぎたいと思います。
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