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2009年10月17日土曜日

橋本知事の自己責任論

大阪府の橋下徹知事が10月23日、高校生と私学への助成金削減プランをめぐり、意見交換会を行った。報道によると意見交換会は、橋下知事の「単なる子どもたちのたわ言みたいにならないように、僕もかなり厳しくそこは反論していくので、そこはしっかり、きょうは議論したいと思いますので、よろしくお願いします」という宣戦布告で始まった。
橋本知事は言う。「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」 橋本知事は日本は困っていても誰も助けない自由競争で弱肉強食の社会と考えているようである。私は日本をそんな国柄の国にしてはならないと思っている。 自己責任とは自己と他者との関係を規定した概念である。個人は自己の選択した行為の結果に責任を負い、他者の責任にしないということである。80年代以降新自由主義が台頭し、自己責任概念を私と公の関係に置換し、国民の基本的人権を保障する国家の責任を縮小し、市場経済の自由競争のなかに敗者の自己責任を追及してきた。その日本での具体化が小泉改革で、後期高齢者医療制度や障害者自立支援法に結実している。それに日本国民の多数派はNOを表明し現在の自公政権の凋落となっている。国家と国民の関係を規定している憲法は国家が国民の基本的人権を保障する義務を明らかにしている。憲法が真に生かされる社会にしなければならない。 橋本知事は更に高校生たちにこう言う。「皆さんが完全に保護されるのは義務教育まで。高校になったらもう、そこから壁が始まってくる。大学になったらもう定員。社会人になっても定員。先生だって、定員をくぐり抜けてきているんですよ。それが世の中の仕組み。」 憲法は教育をうける権利と義務教育についてこう書いている。 「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育をうける権利を有する。 すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」(憲法第6条) 読めばわかるように義務教育の義務とは子弟に教育を受けさせる親の義務である。「その能力に応じて、ひとしく教育をうける権利を有する」教育は義務教育のみならず高校・大学も含んでいる。公はその義務を負っているのである。知事の意見は憲法に対する無知としか言いようがない。 そして橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」「それはじゃあ、国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」と切り捨てた。政治をかえる活動をするのは望むところである。しかし自分は選挙で選ばれた知事である。文句があったら当選してみろ言う知事の性根には我慢がならない。選挙公約で一切触れていなかった「維新改革プラン」を実行していいとと思っているのか。選挙を言うなら一度辞任して選挙をやり直してはどうか。また知事は選挙に当選すれば何をしてもいいと考えているのであろうか。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(憲法第99条)を噛みしめてほしい。知事には憲法を尊重し擁護する義務がある。憲法に反することはしてはならない。 最後に「嫌ならこの国を出て行け」は、戦前の非国民呼ばわりを思い出させる。「子どものたわ言」である。弁護士バッジが泣いている。

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