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2011年7月23日土曜日

原爆投下正当化論を乗り越えるために  イマジネーションが論理を超える

「はだしのゲン」のDVDを見た。実は「はだしのゲン」の漫画もアニメも見るのは初めてだった。広島で被爆したゲン少年と家族の生と死を描いている。原作者の中沢啓二の実体験から描かれたものである。

原爆投下のシーンは衝撃的であった。私はこれまで原爆についての文献を読み、原爆資料館を何度も見学し、最近は被爆者の体験を聞く集いに参加してきた。それなりの知識を持っていた。しかしアニメでみる広島の情景とそこで生きる当たり前の人が被爆する姿は私の頭の中の知識を、実体験に近いものに高めた。登場人物が自分と自分の身近な人のように感じられた。非戦闘員に対してこのような残虐行為を行ってはならない。日本のみならず世界中の国民が、広島・長崎を二度と繰り返さないとの決意を固める必要がある。

しかし原爆投下を正当化する考え方は世界に根強く残っている。二つの原爆を落とさなければ、日本の降伏が遅れ本土決戦が行われ日米双方に広島・長崎で死んだ数10万の人よりも多くの人がなくなる結果になった。より多くの人命を救うために原爆投下は必要であったというのである。昨年ニューヨークでも同じことを繰り返し聞かされた。

正義についての議論で有名なサンデル教授は、テレビのインタビューで「原爆投下そのものは正当化されますか」の質問に答えて、「それは難しい質問ですね。私は明確で決定的な答えを持っていません。原爆の投下は不当な行為です。それによって日本は本土決戦を免れ、日米双方で多くの命が救われたと言います。」と述べている。

仮定の議論をするならば、原爆を落とさなければより多くの犠牲者が出た可能性がある。そのことを否定することは難しい。しかし原爆以外に一般市民の命を守りながら戦争を終結する方法がなかったと立証するのはもっと難しい。

私は数百万人を殺さないために数十万人を殺すことを正当化することに違和感を覚える。論理の世界、哲学の世界ではそれが是とされるのであろうか。

その議論には個々の人間の姿が目に入っていない。原爆の閃光が自分と家族となんら変わらない市民の上に光ったことを認識できていない。かりに広島・長崎に自分の家族・知人がいたとしたら同じ議論はできないであろう。実際、きのこ雲の下には連合軍の捕虜はいたし、日本に侵略された朝鮮人が数多くいた。

投下した爆弾の先に生身の人間がいたことを意識しなければならない。どんな理由も一般市民に原爆を落とすことを正当化しない。

原爆投下正当論を乗り越えるためには、多くの人が広島・長崎にいた人の気持ちを、リアリティーをもってイメージすることである。そのために「はだしのゲン」は大いに貢献する。多くの方がこのDVDを見られることを勧める。

サンデル教授は、同じインタビューで「日本とアメリカがまずすべきことは、歴史の責任をきちんと認識することです。そして相互に謝罪し、和解することが重要だと思います。」と述べている。賛成である。

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