「原子は爆弾のほかに使いみちはないの?」
「いいえ、あるとも。こんなに一度に爆発させないで、すこしずつ、連続的に、調節しながら破裂させたら、原子力が汽船も記者も飛行機も走らすことができる。石炭も石油も電気もいらなくなるし、大きな機会もいらなくなり、人間はどれほど幸福になれるかもしれないね」
「じゃ、これからなんでも原子でやるんだな」
「そうだ、原子時代だ。(略)」
これは電力会社の広告文ではありません。長崎医大で自らも負傷しながら市民の救援にあたった永井隆先生が書かれた随筆集「長崎の鐘」の中の一文です。原爆が投下された1945年の、12月の子供さんとのエピソードを書かれたものです。1949年1月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーになっています。廃墟の中で再生を願いつつ、原子力の平和利用に対する強い期待が記されています。
それから66年が経ちました。人類は核兵器の廃絶に成功していません。核兵器は9か国2万発超が配備されています。平和利用の「象徴」とされた原子力発電所は、スリーマイル・チェルノブイリ・福島と三度大事故を起こしました。今や多くの人は原子力発電所が人間を幸せにするものではないことに気がついています。脱原発は多くの人の支持を受けています。永井隆の「長崎の鐘」は、「人類は原子時代に入って幸福になるであろうか?それとも悲惨になるであろうか?」と書いています。少なくとも2011年の現時点では幸福になったとはいうことはできません。
では永井隆の「原子時代」への希望は愚かな夢想だったのでしょうか。私はそう断定できません。なぜ人間の幸せのために「原子」が役立たなかったのか。そのことを検証するする必要があります。人間の幸せの前提は安全です。その安全がどういった経緯でないがしろにされてきたのか。そのことを明らかにする必要があります。国家の利益や企業の利益が情報をコンロールし、主権者である国民の判断を狂わせたのではないでしょうか。
原子力基本法は、以下のように定めています
(目的)
第一条 この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条 原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
なぜこの目的と基本方針が確保されなかったでしょうか。その検証が求められます。それに基づき原子力基本法の改定が求められます。
誤解を恐れずにいえば、私は現時点でも永井隆の「原子時代」の夢、人類の幸せを実現するための「原子」の利用の可能性を信じます。現行の原子力発電は未完成の技術で停止する以外に選択はありません。しかし、人間の幸せに役立つ「原子」の平和利用の可能性を否定することはできないと考えます。繰り返しますが人間の幸せの前提は安全です。安全を確保しながら「原子」の平和利用のための基礎研究は継続していく必要があると考えます。そして安全性が担保されれば実用利用することは可能です。この考えと脱原発は並び立ちます。そのための叡智の結集が必要です。国民的合意をつくり脱原発を実現するためにも、安全性を確保した原子力の平和利用についても議論を進めていく必要があります。
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