8月1日付の朝日新聞は、原爆詩の朗読会で、 女優の吉永小百合さんが、福島第一原発の事故に触れ「世の中から核兵器がなくなってほしい。原子力発電所がなくなってほしい」とあいさつしたと報じている。「『原子力の平和利用』という言葉を、今まであいまいに受け止めてしまっていた。『もんじゅ』(福井県敦賀市の高速増殖原型炉)が恐ろしいことは聞き、廃炉に向けた運動はしていたが、普通の原子力についてもっともっと知っておくべきだった」と話したと報道している。吉永さんの誠実さに感動した。同じ日の朝日新聞は別の記事で、ルポライター鎌田慧さんが「原発反対で運動してきたが、社会を変える力になっていなかった」と振り返ったと書いている。頭が下がる。
3月11日原発事故を経験して、なぜもっと前から脱原発にむけ運動をおこし国民的合意を作れなかったのか。これまでの自らのあり方について痛みをこめて振り返り、これからの脱原発の運動への決意を固めている人は少なくない。
私も同じ痛みを持っている。
私は原爆の被害についての知識は持っていた。チェルノブイリ事故についても知識は持っていた。そして3月11日以前、マスコミが垂れ流した「地球温暖化防止のために原発を」という宣伝にも批判的であった。安全点検をして危険な原発は廃棄するべきであると考えてきた。もちろん「安全な原発」は存在しないから、実践的にはすべての原発は廃棄するべきという考えであった。でもすべての原発を、期限を決めて停止するべきであるとは言ってこなかった。核兵器廃絶と同等の重要性のある課題として取り組んでこなかった。それはなぜか。危険な原発はやめるのは当然としても、原発を全廃しても私たちのいのちと暮らしを守ることができると断言できなかったことにあるのだろう。「本当に原発ゼロで、大丈夫か」との懸念が、脱原発宣言を躊躇させたのである。なぜそう考えたか。どの情報に基づいて判断したのか。結局は原発推進論者の主張に幻惑されていたのだろう。考えが足りなかった。胸が痛む。
そして今回の福島の事故である。多大な被害を福島県民に与えた。故郷を奪い、死の恐怖を押し付けた。リスクはあるかもしれないが我慢してくれとは言えない。私たちのいのちと暮らしを守るために、かりに金を払ったとしても誰かを踏みつけにしてはいけない。いくら賠償金や補償金をつんでも、これほどまでに他者に犠牲をおしつけるのは不正義である。
しかし原発を全廃するために、私たちのいのちや暮らしがどうなってもいいわけではない。困難はあっても原発なしで私たちのいのちと暮らしをまもる国づくりをしようと呼びかける時である。さらに発展途上国では水と食料を確保するために十分なエネルギー供給が不可欠である。脱原発の安全なエネルギー確保のために人類の総力を結集する時である。この課題を21世紀前半で解決しなければならない。
エネルギー問題について3月11日以前どう考え、そして今どう考えているのか。それを明らかにするべき時である。そして国民的・人類的合意をつくる時である。
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