2011年8月の原水禁世界大会長崎の会場で著者の吉崎幸恵さんにお会いしました。吉崎さんは開会総会で署名活動の報告をされていました。たまたま一日目の閉会後、会場の外に立っている時に吉崎さんから声をかけられこの本を購入しました。
吉崎さんは5歳の時長崎で爆心から3.6㎞の地点で被爆されています。1985年7月から8月にかけて「核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団の一員としてアメリカ各地で集会に参加し、幾度も記者会見をされ被爆の実相と実情を伝え、核兵器の全面禁止の緊急性を訴えられました。集会では、「あの日、わたしは」という自作の歌を歌われました。
「〽あの五歳の夜 わたしは忘れません 長崎が死のまちとかわりはてたことを・・・・」
85年といえば、日本航空の御巣鷹山事故の年です。また阪神が21年ぶりに優勝した年です。
被爆の実相をアメリカの人々がどのように受け止めてくれるか、どのように理解してもらえるか不安を持っていたが、大方の歓迎と共感が寄せられました。また現地の方との交流で、被爆の被害の訴えだけではなく、日本軍国主義者による侵略戦争や残虐行為についての反省を明確にすることが大切であることを気づきました。
自分も被爆者であるという米兵が「原爆投下=人命救助論」を展開しそれとの論争も行いました。
これは今に至る、アメリカ人の一般的考え方です。
また「爆心地には放射能の死の灰は降らなかった。放射能はきのこ雲の周囲に広がり、爆心地には影響を与えていない」と主張する別の元オランダ兵被爆者とも論争しています。
広島原爆投下直後の被害状況をB29から撮影したディック・ショウウッド氏と原爆搭載機の搭乗員に対して、成功のための祈りをささげた神父ジョージ・ゼベルカ氏と涙の対面をしました。「ヒバクシャには申し訳ないことをした。許してほしい」と謝罪の意が表明されました。
サンタフェでは市長から名誉市民章を送られました。
長崎でお会いした吉崎さんは、85年の自分たちの活動が今日の核廃絶運動前進の礎になっていると自信を持って語っておられました。ぜひ多くの方が読まれることをお勧めします。
一般の書店での入手は困難です。
直接 〒812-0893 福岡市博多区那珂4-27-10-303(電話 092-431-0755) 吉崎幸恵さん宛 まで申し込んでください。 定価は1200円です。
0 件のコメント:
コメントを投稿