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2011年8月30日火曜日

New Japanese P.M. Yoshihiko Noda’s view of Japan’s A-Class war criminals

Yoshihiko Noda was elected as the new Japanese P.M. on August 30. Most Japanese people think that he must resign within a year. Many Japanese people worry about Noda’s historical awareness. He has insisted that Japan's A-class war criminals were not war criminals.

It is natural that we have many different opinions of policies related to taxes, the social security system, and energy supply, but historical awareness is different. We must take a stand on the point of view of the constitution of Japan and the official position of the Japanese government.

We, the Japanese people, resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government. (The constitution of Japan)

During a certain period in the not too distant past, Japan, following a mistaken national policy, advanced along the road to war, only to ensnare the Japanese people in a fateful crisis, and, through its colonial rule and aggression, caused tremendous damage and suffering to the people of many countries, particularly to those of Asian nations. In the hope that no such mistake be made in the future, I regard, in a spirit of humility, these irrefutable facts of history, and express here once again my feelings of deep remorse and state my heartfelt apology. Allow me also to express my feelings of profound mourning for all victims, both at home and abroad, of that history. (Statement by Prime Minister Tomiichi Murayama on  August 15, 1995)

The new P.M. Noda’s eccentric historical awareness must anger people abroad and cause the Japanese people grief.

Noda is responsible for his past remarks. He should explain them to the world. Those who deny the Japanese war crimes aren’t suited for the position of Prime Minister of Japan.
    

2011年8月29日月曜日

原発依存継続を謳う野田佳彦政権は長続きしない

829日民主党の総裁選挙は野田佳彦氏を代表に選んだ。30日には首相に指名される段取りのようだ。今回の代表選挙は親小沢対反小沢という構図で行われ、各候補者の政策にどんな違いがあるのか国民にはほとんど知らされないままの選出となった。各候補者も国民目線の発言がなく、仲間内の政権たらいまわしといわれても仕方がない状態であった。国民に意思に反する政策を行えばどの政権であれ早晩沈没することになる。

国民の重大関心事である原発問題で野田佳彦氏は政権構想でこう書いている。

「原子力安全庁(仮称)を設置して安全の規制体系を一本化し、原子力発電の信頼を回復
させる。同時に、安全性を確認した原子力発電所の活用により、エネルギー制約を克服し、
電力の安定供給を確保する。」(野田佳彦の「政権構想」)

野田新首相が誕生することにより、管首相が714日に行った「脱原発依存」への政策転換は完全に否定され、原発依存を継続することになる。

野田氏は国民の脱原発の意思の固さを知らないに違いない。

619日の東京新聞は原発廃炉を支持する国民は82%と「現状維持」を求めた人は14%と報道している。他のマスコミも同様の結果を報じている。この数字を軽く見てはならない。

福島第一原発の事故を経験した国民の意思は固い。自分たちの豊かさを確保するために福島の人を犠牲にした痛みは深い。そして原発が存続すれば再び「福島」が起こり自分たちの子どもや孫が犠牲になる。それは絶対に繰り返してはならない。そう国民は決意している。この決意は敗戦の焦土に立ち再び戦争を繰り返さないと決意した時と同じである。

この夏の「電力不足」を乗り切らせたのは国民の脱原発の意思である。

私は毎日脱原発署名を訴えている。これまでのどの署名運動にも見られなかった反応が返ってきている。「この署名なら是非したい。」そんな声を何度も聞いている。

野田新総理がこの国民の脱原発の意思に背き原発依存を継続する政策を続ければ、早晩職を失うことになる。そのことを肝に銘じていただきたい。国民の声を聴き、政権交代の原点である「国民が主人公」の立場に立つことを要請する。

2011年8月28日日曜日

A Danish movie, In a Better World

I watched a Danish movie “In a better world”.  This movie won the awards, Oscar and Golden Globe. The main subject of this movie is that we should revenge or choose another better way?

The main character, Anton, was a Swedish doctor who partly lived in Denmark and partly worked at a Sudanese refugee camp. He said to one of his sons, Elias, who had been bullied by students of his school and did revenge, that if you hit him as revenge, he hit you, and then it never end.

His thought was right. But he couldn’t observe his faith.

He let the local people in the refugee camp lynch a monster warlord, who was treated for a wounded leg by him against the anger of his staff and other local people, because the lord showed contempt for his victims. He worried about the incident very much.

Elias and his friend Christian tried to blow up a car, owned by a man who had hit Anton violently. But the blow injured Elias heavily.

Elias’ mother told Christian that he was a psychopathic murderer. He misunderstood Elias was dead. He tried to kill himself by jumping from a roof of a silo. He was rescued by Anton.

Revenge makes revenge. But it is difficult not to take revenge for an unfair violence. Nevertheless the attacks on 11 September in 2001 and the continuing wars in Iraq and Afghanistan teach us that revenge is catastrophic. It is a realistic truth.  We should choose another better way to overcome an unfair violence. We must make a better world without violence.

2011年8月27日土曜日

후쿠시마 원전사고의 방출Se, 원폭의 168배


 경제산업성 원자력안전·보안원은 8월26일, 도쿄전력 후쿠시마 제1 원자력 발전소 사고와, 히로시마에 투하된 아토믹 봄(atomic bomb)에서 대기중에 꺼내진 방사성 물질의 종류별의 양을 비교한 자료를 공표했다. 원전사고의 방출량은 137Ce가 원폭의 168.5배, 131I가 2.5배에 맞는다. 


 반감기가 약30년과 긴 137Ce로 비교하면, 원전사고가 1만5000TBq, 원폭이 89TBq. 


 체르노빌 사고의 총방출 방사 물질량은 167만TBq로부터 370만TBq와 추정되고 있다. 후쿠시마 원전사고의 17만TBq는 10분의 1로부터 20분의 1에 맞는다. 

2011年8月26日金曜日

停電を回避して猛暑を乗り切った日本国民に喝采を 原発ゼロは実現可能、あと15基だ

今日の最高気温は33℃、最低気温は26℃だ。まだ暑いと言っても、夏は峠を越えた。外来で熱中症、脱水症の人にする点滴の数もだいぶ減ってきた。「少し食べられるようになりました」そう言われる患者さんが増えてきた。クマゼミの声が聞こえなくなり、空には筋雲が見えるようになってきた。「なんとか夏を乗り越えましたね」と、患者さんとお互いの無事を喜ぶ言葉を交わせるようになった。まるで厳しい戦いをともに戦った戦友のようだ。

今年の夏はいつもの夏と違う。福島原発事故の影響で、国内の原発54基(4884.7kWh)のうち、大震災で停止中の14基と点検・故障で停止中の25基合計39基が停止中。稼働している原発は15基(1374.9kWh)という状態で今年の夏を迎えた。このままでは電力不足で停電するぞとの「脅かし」の中、多くの人が「でも原発は嫌だ」との思いで精一杯節電をしながら過ごした夏だった。電力会社の電気予報を毎日チェックしながら過ごした夏だった。クーラーを28℃に設定し、こまめにスイッチを切り、パソコンは省電力設定にした。高校野球は早朝から試合開始した。その結果、日本中電力不足での停電が一か所もなく夏を越そうとしている。「よくやった。Good job!」と声を掛け合いたい。日本人全体が停電を回避するという目標に取り組んで目標をクリアした大きな成功だと思う。日本人全体に国民栄誉賞を贈っていいほどの歴史に残る業績だ。お互いに褒めあいたい。

この夏は脱原発の緒戦に勝利した。いよいよ、あと15基(1374.9kWh)分だ。節電は知恵を出せばまだまだできる。電力会社の潜在発電能力の発揮と各事業所にある自家発電能力の活用も大切だ。そして代替エネルギーの開発だ。日本国内の風力発電で原発25基分以上、地熱発電で原発20基分の発電能力があると試算されている。太陽光・バイオマス発電の潜在能力も高い。自然エネルギーへの転換を着実に進める必要がある。

次の電力消費のピークは冬の2月ごろだそうだ。原発をこれ以上止めると電力不足になるぞとの脅しに負けず心を一つにして11年‐12年冬を乗り越えよう。必ずできる。原発ゼロYes we can!

2011年8月22日月曜日

후쿠시마에서의 어린이의 갑상선의 피폭


 정부의 원자력재해대책본부는 8월17일, 후쿠시마현의 어린이 약1150명을 대상으로 한 갑상선의 검사로, 45%의 피폭을 확인했다.  의료조치가 필요한 상태가 아니다고 판단했다.  


 검사는 3월 24∼30일, 이와키시와 가와마타쵸, 이이다테무라에서 0∼15세의 어린이를 대상에 실시했다.  정밀 검사가 필요하다고 정한 기준은 매시 0.20μSV이상.  전체의 55%의 어린이는 검출 한계도 포함해서 측정 값이 0.00이었다.  0.00 <에서는, 0.01μSV가 26% 있었다.  0.02μSV가 11%로, 최고는 0.10μSV이었다.  


 이 조사에는 원자력 발전소에 가장 가까운 후 후타바 나비·나미에쵸의 어린이는 대상으로 삼아지지 않고 있다.  


 체르노빌의 사고에서는 4000명이상의 어린이가 갑상선암에 걸렸다고 보고되고 있다.  후쿠시마에서의 앞으로의 추적 조사가 중요하다.  


당시 18세이하의 어린이 36만명에 대하여, 후쿠시마현은 생애 계속할 예정의 갑상선의 초음파검사를 계획하고 있다.  

2011年8月20日土曜日

アナログ放送終了から27日 ようやくテレビが映った

819日午後、訪問診療だ。今日も暑い。でもあれだけうるさかったセミの声が小さくなっている。日差しの角度が少し低くなっている。夏も峠を越えたようだ。

安井さんの家だ。今日は1ヶ月の地域医療研修に我がクリニックに来た2年目研修医中村医師も一緒だ。血圧は相変わらず高い。「最近眠れない」と言われる。「もう少し涼しくなったら外に出ましょう。身体を動かせば夜眠れるようになります」と言った。いつものように持参した薬を飲んでもらった。

今日もラジオがかかっているので、「テレビの調子はどうですか」と聞いた。「故障して映りません。電器屋さんを呼ぼうと思います。野球をみたいです。」アナログ放送停止のことはまだよく理解できないようだ。でもはじめてやせ我慢をせずに、テレビを観たいと言われた。明日は高校野球の決勝戦だ。

テレビのスイッチを入れるとやはり砂嵐だ。「困ったね。チューナーだけ送ってきても見られませんよね。勝手に電波を止めておいて、無責任ですよね。」と山田看護師。すると中村医師、「僕がやってみましょう」と説明書をみながらチューナーの配線のやり直しを始めた。安井さんは「このごろ若い先生は電器屋さんもするのですか」と嬉しそうに言う。中村医師は手を動かしながら「そうですね。うまくできたら医者と電器屋さんをします。」と答える。

5分程かかっただろうか、中村医師がスイッチを入れると。テレビが映った。その瞬間安井さん、中村医師、山田看護師、そして私の四人で歓声をあげて拍手をした。一人暮らしの秋田さんの家で歓声が上がったのは何年ぶりだろうか。みんなで歓声をあげて拍手をしたことが嬉しかった。いつも早く死んだ方がましと言っている安井さんが拍手をして嬉しそうな顔をしている。私はこころの中で「長生きしているといいこともあるでしょう」とつぶやいた。

帰りの車の中で「今日の一番の成果は安井さんのテレビが映ったことだ。映ってよかった。実はもう一人テレビが映らなくて困っている人がいるんだ。小林さんという人で」というと、中村医師は「小林さんもテレビが映らないのですか。今日の午前にヘルパーさんと一緒に訪問して話をしてきたんです。あした時間を見て自転車でテレビの設定に行ってきます」と言ってくれた。

私はいい医師が育っている、まだまだ日本には未来があるなと思った。今日は本当にいい一日だった。

地上デジタル移行強行は棄民行為だ
アナログ放送終了とテレビの大騒ぎ
地デジ移行強行、テレビが見捨てられる日
アナログ放送終了から6日 町には“砂嵐”が吹きすさんでいる
アナログ放送終了から20日 町には依然“砂嵐”が吹きすさんでいる

2011年8月19日金曜日

橋下知事WTCへの全面移転断念 責任をとって政治の世界から完全に足を洗えば橋下らしい

報道によると橋下大阪府知事はWTCへの大阪府庁全面移転を断念したとのことである。東日本大震災をうけWTCの災害拠点としての役割を検討した専門家委員会の議論を受けての判断である。判断の間違いを訂正することはいいことだ。橋下人気を背景に、府庁のWTC全面移転を強行するなら府の防災対策の機能は致命的弱点を持つことになった。それが回避されたのだから府民としては歓迎すべきことだ。

ただしWTCは防災拠点としての役割が果たせないことは以前から指摘されていた。その指摘を無視して大阪市から85億円でWTCを購入し、すでに過半の部局を本庁から移転させている。移転のための費用も支出されている。今回の震災の損傷の改修にすでに1億円かかっている。加えてWTCの咲洲庁舎の耐震改修に33億が必要になっている。継続使用する大手前本庁の改修も緊急の課題になっておりその費用は70億と莫大だ。

府庁の機能を大手前と咲洲の二つに分割して運営することで不便と労力と経費を発生させていることは誰にでも想像がつく。そのロスについて府民に開示していただきたい。

政治の世界である。間違っていました方針転換しますでは済まない。その誤りのつけを府民に回すのは腹立たしい。こんな失態をしても橋下知事は知事を辞任して、大阪市長に立候補するようだ。その前にWTC問題の責任はどうとるのか明らかにしてほしい。いっそ政治の世界から完全に足を洗えば橋下らしいということになる。


橋下知事の自己責任論 
橋下知事の福祉医療制度改悪に反対します
橋下知事の高支持率と在阪マスコミ
大阪府庁はWTC移転では防災拠点としての役割ははたせなくなる
大阪府庁のWTC移転を熱望する橋下知事への提案
サッカー日本代表「君が代」に敗れる
http://heiwayutaka.blogspot.com/2011/05/blog-post_26.html

Atomic bomb causalities were not only Japanese but also foreign people


The two atomic bombs killed 140,000 people in Hiroshima and 70,000 in Nagasaki. The causalities were not only Japanese but also foreign people. A nuclear bomb is a weapon of mass destruction. It destroys everything indiscriminately. It kills both soldiers and citizens. It is a weapon against humanity.


The largest number of non-Japanese atomic bomb causalities were Korean. The number of Korean people killed was 8,000 in Hiroshima and 2,000 in Nagasaki.  
Many Japanese people in Hiroshima had emigrated to the U.S at that time. Some of them came back to Hiroshima for educational reasons. The number of Japanese American citizens in Hiroshima was 3,200. They were irradiated.


There were more than ten captured U.S soldiers killed by the atomic bomb in Hiroshima.  There were more than sixty foreign prisoners killed in Nagasaki. The U.S army dropped the bombs over its own soldiers mercilessly.


We must learn from the facts of history. No more Hibakusha: atomic bomb casualties. 

2011年8月18日木曜日

外来患者の46%が0.5kg以上の体重減少 熱中症注意

毎日暑い。私の勤めるクリニックでもふらつき、倦怠感、こむら返りなどの症状を訴える人が何人も受診され、処置室の点滴用のベッドが足りない状態です。熱中症予防に細心の注意が必要です。
 
17日私の外来を受診した37人の患者さんの中で前回受診時より体重が1kg以上減少していた方が11人30%、1kg未満0.5以上kg減少の方が6人16%、0.5kg未満減少の方が3人8%でした。ほとんどの方が無自覚です。急激な体重減少は身体の中の水分量の減少のサインです。0.5kg未満の減少は測定誤差の範囲かも知れませんが、それ以上の減少の方は注意が必要です。46%おられます。積極的な水分補給が必要です。
 
共同によると「熱中症で8月8~14日に病院に搬送された人は、全国で7071人に達し、1週間の人数としては今年最悪となったことが16日、総務省消防庁の速報値で分かった。うち8府県の15人が亡くなった。」とのことです。
 
クマゼミの鳴き声も小さくなりようやく長かった夏も峠を越しつつありますが、熱中症への注意は引き続き必要です。毎日同じ条件で体重を測り自分の体調を把握しましょう。


2011年8月16日火曜日

今年の百日紅の花の色は薄いか

今年の夏はいつもと何かが違う。公園の百日紅の色が薄く感じる。咲くのも遅かった。友人に聞いてみたら、そうは思わないと言う。逆に白内障でも始まったのではないかとからかわれた。

それでも気になるので植物園に電話かけて聞いてみた。
「今年の百日紅は咲くのが遅かったし、色が薄いと思うのですが、そんなことはありませんか」と。こんな質問に丁寧に対応してくれた。春先が寒かった関係で今年の花木はボタンも桜も一週間くらい開花が遅くなっている。乾燥が強いと色が浅くなることがあるが、今年の色は特に変わらないと。

どうも今年の百日紅の色がうすいと感じるのは私の錯覚のようだ。

夏は色鮮やかな花がたくさん咲く。そのなかでは百日紅が好きだ。朝早く打ち水した庭に咲く紅い百日紅の花、濃い緑に映えて美しい。また今日も一日暑いが頑張ろうという気になる。でも今年は少しちがう。

今年は地震・津波・原発事故と大きな出来事があった。特に福島原発の事故は心に傷を残している。これまで何気なく使ってきた電力が結果的に福島の人をこんな目に合わせている。すまないという思いが続く。

いつかは2011年をふりかえってあの時から私は、世の中は変わったと言える日が来るようにしたい。
来年の夏は百日紅の紅を楽しみたい。

2011年8月15日月曜日

화로마음용융의 사실은 숨겨지고 있었던


 경제산업성 원자력안전·보안원의 테라사카 노부아키 원장이 8월10일 회견했다. 후쿠시마 원전사고 직후의 3월12일에, 핵연료가 녹아 떨어지는 화로마음용융에 가까운 상태가 되고 있었던 가능성을 인식하고 있었다고 말했다. 


도쿄전력은 사고발생후 2개월에 후쿠시마 원전에서, 화로마음용융이 일어나 있었던 가능성을 인정했다. 
일본정부와 도쿄전력은 사실을 사고 직후에 공표하는 것을 소홀히했다. 원전주변자치단체의 주민들을 피폭시켰다. 정보은폐의 경위를 분명히 할 필요가 있다. 


후쿠시마 원전사고의 모든 사실을 밝힌다. 사실을 배운다. 이것이 다시, 히바쿠샤를 만들지 않는 우리들의 책무다. 

2011年8月12日金曜日

アナログ放送終了から20日 町には依然“砂嵐”が吹きすさんでいる

依然砂嵐
テレビの上にチューナーがある
812日午後、今日も訪問診療だ。今日の最高気温は34度。気象台の風とおしのいい百葉箱の中の気温が34度。アスファルトの道路はそれより34度高い。暑いと口にするのも嫌になるぐらいだ。

小林さん昨日は熱が出て、臨時の往診で点滴をした。今日はだいぶ元気で、トイレまで歩けるようになっていた。今日は点滴なしで行くことにした。たまたま娘さんが来られていたのでテレビはどうなりましたと聞いてみた。チューナーは電器屋さんがつけてくれたが、チューナーとテレビの両方のスイッチを入れてテレビを見る操作ができない。それでテレビは見られないままとのこと。

認知機能に問題がある人が新しい機器の操作を学習することは難しい。

安井さん。今日もラジオをかけていた。先週、チューナーが宅急便で届いているのを知っているので、「電器屋さんがチューナーをつけてくれましたか」と聞いてみた。「ダメなんです。電器屋さんが来て、器具をつけてくれたが映らないです。テレビが壊れているのでしょう。」と言われる。地デジ移行までは、立派に映っていたテレビなので、それが故障したとは考えにくい。テレビの上を見ると、チューナーがケーブルで接続されていた。テレビとチューナーのコンセントを差し込んで、スイッチを入れたが「砂嵐」だ。私もチュナーの操作がわからないのが、いろいろしてみた。でもテレビは見られなかった。

この二人のところにも遅ればせながらチューナーが届いた。たしかに地デジ対応は少しずつ進んでいるようだ。でもこの二人のようにチューナーが使いこなせていないところが多いのではないか。税金を使ってチューナーを配布してもこのままではムダ金だ。

貧困・独居・認知機能低下この三つがある人のへのきめ細かい援助が必要だ。マスコミはどうしているのだ。地デジ移行直後は新聞が少し報道したが、それ以降ご無沙汰だ。テレビは地デジ難民という言葉は放送禁止用語と考えているのか。まったく報道しない。

依然地デジ難民は“砂嵐”の中を放浪している。

2011年8月11日木曜日

ヒバクシャPEACETOUR 原水協アメリカ遊説の旅 吉崎幸恵著


20118月の原水禁世界大会長崎の会場で著者の吉崎幸恵さんにお会いしました。吉崎さんは開会総会で署名活動の報告をされていました。たまたま一日目の閉会後、会場の外に立っている時に吉崎さんから声をかけられこの本を購入しました。

吉崎さんは5歳の時長崎で爆心から3.6㎞の地点で被爆されています。19857月から8月にかけて「核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団の一員としてアメリカ各地で集会に参加し、幾度も記者会見をされ被爆の実相と実情を伝え、核兵器の全面禁止の緊急性を訴えられました。集会では、「あの日、わたしは」という自作の歌を歌われました。
 「〽あの五歳の夜 わたしは忘れません 長崎が死のまちとかわりはてたことを・・・・」

85年といえば、日本航空の御巣鷹山事故の年です。また阪神が21年ぶりに優勝した年です。

被爆の実相をアメリカの人々がどのように受け止めてくれるか、どのように理解してもらえるか不安を持っていたが、大方の歓迎と共感が寄せられました。また現地の方との交流で、被爆の被害の訴えだけではなく、日本軍国主義者による侵略戦争や残虐行為についての反省を明確にすることが大切であることを気づきました。

自分も被爆者であるという米兵が「原爆投下=人命救助論」を展開しそれとの論争も行いました。
これは今に至る、アメリカ人の一般的考え方です。

また「爆心地には放射能の死の灰は降らなかった。放射能はきのこ雲の周囲に広がり、爆心地には影響を与えていない」と主張する別の元オランダ兵被爆者とも論争しています。

広島原爆投下直後の被害状況をB29から撮影したディック・ショウウッド氏と原爆搭載機の搭乗員に対して、成功のための祈りをささげた神父ジョージ・ゼベルカ氏と涙の対面をしました。「ヒバクシャには申し訳ないことをした。許してほしい」と謝罪の意が表明されました。

サンタフェでは市長から名誉市民章を送られました。

長崎でお会いした吉崎さんは、85年の自分たちの活動が今日の核廃絶運動前進の礎になっていると自信を持って語っておられました。ぜひ多くの方が読まれることをお勧めします。

一般の書店での入手は困難です。
直接 〒812-0893 福岡市博多区那珂4-27-10-303(電話 092-431-0755) 吉崎幸恵さん宛 まで申し込んでください。 定価は1200円です。

Who was killed by the atomic bomb that the U.S army dropped over Nagasaki, Japan on Aug. 9, 1945?


the ruin of the Urakami Cathedral
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/

Ground zero was Matuyama-tyo, Nagasaki city. The Urakami Cathedral, which was known as the largest in Asia, was situated about 500 meters northeast of the epicenter. Many Japanese Christians live in Nagasaki, and especially in the Urakami area.


Christians in Japan have observed their faith, often in spite of merciless suppression, since 1567. More than few of them were killed by their landlords. Christianity was only admitted as a faith in 1873, after the Meiji Restoration. Urakami, Nagasaki has been the center of Christianity in Japan since then. The Urakami Cathedral was destroyed by the atomic bomb on August 9, 1945. There were about 12,000 believers, and 8,500 of them died from the atomic bomb. The total number of casualties from the bomb numbered 70 thousand.


Did you know the atomic bombs didn’t kill the aggressive imperialists, but did faithful Japanese Christians and Japanese common people?



2011年8月9日火曜日

長崎市幸町俘虜収容所


長崎に来たらぜひ行きたい場所があった。戦争中の長崎市幸町の福岡俘虜収容所第14分所跡だ。そこで外国人俘虜8名が原爆で殺されたと記録されている。その場所を確認したかったのだ。路面電車の宝町電停で下りて西へ少し歩くと幸町だ。そこで道を歩いている昔のことを覚えていそうな高齢の方に収容所の場所を聞いてみた。でもみんな知らないという。仕方がないので道路沿いにあった事務所に入って「俘虜収容所の跡地を知りませんか」と聞いたら、事務所にいた6人全員が驚いた顔をして私を見た。いろいろ聞き歩いて杉永蒲鉾の隣に戦後県営バスの車庫があって今は三菱重工業長崎造船所幸町工場になっていることがわかった。そこに戦争中は俘虜収容所があったのだ。


ようやく浦上川沿いの大きな道路に杉永蒲鉾を見つけた。しかし72歳の杉永蒲鉾の人に聞いても俘虜収容所は知らないと言う。三菱の工場の入り口の守衛さんに「ここに収容所があったのですが、記念碑はありませんか」と聞いたら律儀に部屋から出て応対してくれたが「あったことも知らないし、記念碑もない」といわれた。

収容所跡地に立って、不幸にも捕虜になり味方の原爆投下で被爆した200名の方の心境を想った。戦争は残酷だ。味方すら見捨てる。被爆死した英兵捕虜、ロナルド・フランシス・ショウさんは、ジャワ島付近で搭乗機が撃墜されて捕虜となり、日本に移送される途中、長崎沖で撃沈され、救助されて収容された。撃墜、撃沈と2度もの死線をくぐり抜けてきた彼は、味方の原爆で殺された。

私がここに来たかったのは、昨年末のBBCの広島と長崎で二回被爆した山口彊さんを笑いものにする番組があったからだ。その時私がBBCのホームページに批判のコメントを載せると「戦争で残虐行為をした日本人に批判する資格はない」とか「鯨を食べる奴が何を言うか」とか言うコメントがたくさん寄せられビックリし悲しい気持ちになった。原爆投下の真実を知らないことは恐ろしいことだ。BBCの放送を正当化する人たちはロナルド・フランシス・ショウさんも笑いものにできるのか。

原爆投下は一般市民の大量殺戮を目的にしたものである。7万人が殺された。その中には日本人だけではなく外国人も含まれていた。朝鮮人の死亡者は1400人〜2000人と推定されている。中国人が156人。そしてこの俘虜収容所で8人(オランダ人7人、イギリス人1人)が殺された。

知らないことは恐ろしいことだ。そして記憶は日々薄れていく。歴史認識を確かなものにする努力をすること。風化させない様に語り継いで行くこと。それが大切だ。

2011年8月6日土曜日

「原子」は人間を幸せにするか 平和利用を考える

「原子は爆弾のほかに使いみちはないの?」
「いいえ、あるとも。こんなに一度に爆発させないで、すこしずつ、連続的に、調節しながら破裂させたら、原子力が汽船も記者も飛行機も走らすことができる。石炭も石油も電気もいらなくなるし、大きな機会もいらなくなり、人間はどれほど幸福になれるかもしれないね」
「じゃ、これからなんでも原子でやるんだな」
「そうだ、原子時代だ。(略)」

これは電力会社の広告文ではありません。長崎医大で自らも負傷しながら市民の救援にあたった永井隆先生が書かれた随筆集「長崎の鐘」の中の一文です。原爆が投下された1945年の、12月の子供さんとのエピソードを書かれたものです。19491月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーになっています。廃墟の中で再生を願いつつ、原子力の平和利用に対する強い期待が記されています。

それから66年が経ちました。人類は核兵器の廃絶に成功していません。核兵器は9か国2万発超が配備されています。平和利用の「象徴」とされた原子力発電所は、スリーマイル・チェルノブイリ・福島と三度大事故を起こしました。今や多くの人は原子力発電所が人間を幸せにするものではないことに気がついています。脱原発は多くの人の支持を受けています。永井隆の「長崎の鐘」は、「人類は原子時代に入って幸福になるであろうか?それとも悲惨になるであろうか?」と書いています。少なくとも2011年の現時点では幸福になったとはいうことはできません。

では永井隆の「原子時代」への希望は愚かな夢想だったのでしょうか。私はそう断定できません。なぜ人間の幸せのために「原子」が役立たなかったのか。そのことを検証するする必要があります。人間の幸せの前提は安全です。その安全がどういった経緯でないがしろにされてきたのか。そのことを明らかにする必要があります。国家の利益や企業の利益が情報をコンロールし、主権者である国民の判断を狂わせたのではないでしょうか。

原子力基本法は、以下のように定めています

(目的)
第一条  この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条  原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

なぜこの目的と基本方針が確保されなかったでしょうか。その検証が求められます。それに基づき原子力基本法の改定が求められます。

誤解を恐れずにいえば、私は現時点でも永井隆の「原子時代」の夢、人類の幸せを実現するための「原子」の利用の可能性を信じます。現行の原子力発電は未完成の技術で停止する以外に選択はありません。しかし、人間の幸せに役立つ「原子」の平和利用の可能性を否定することはできないと考えます。繰り返しますが人間の幸せの前提は安全です。安全を確保しながら「原子」の平和利用のための基礎研究は継続していく必要があると考えます。そして安全性が担保されれば実用利用することは可能です。この考えと脱原発は並び立ちます。そのための叡智の結集が必要です。国民的合意をつくり脱原発を実現するためにも、安全性を確保した原子力の平和利用についても議論を進めていく必要があります。



원자력발전에 관한 풀의 뿌리의 논의를 일한 양국에서

동일본 대지진 재해는 피해를 주었습니다. 거기에 계속되어서 일어난, 후쿠시마 1 원자력 발전소의 사고는 일본과 세계의 사람들에게 불안을 주고 있습니다.

피재자에 대하여 한국을 비롯해 전세계에서 물심양면의 지원이 몰려왔습니다. 마음속으로부터 감사합니다.

원자력발전을 속행할지 폐지할지에 대해서 논의를 하고, 결단을 필요가 있습니다. 양국은 많은 원자력 발전소를 가지고 있습니다. 일본은 세계에서 3, 한국은 5번입니다. 일본과 한국은 해협을 끼어서 이웃이 되고 있습니다. 그리고 원자력 발전소가 일본의 사가와 한국의 부산에 있습니다. 어느 쪽이 후쿠시마와 같은 사고를 일으키면, 양국에 방사능오염이 미칩니다.

각각의 나라의 에너지 정책은, 각각의 국민이 정합니다. 옳은 판단을 있게, 정확한 정보와 지식을 손에 넣을 필요가 있습니다.

이후, 후쿠시마의 진실을 발신합니다. 양국에서 풀의 뿌리의 논의를 일으켜 갑시다.

2011年8月3日水曜日

Tension concerning historical awareness still exists in Japan

Schools in Tokyo use nationalistic junior high history textbooks. The Tokyo Board of Education on July 28, 2011 approved the use of a disputed history textbook with a nationalist influence. The textbook has drawn international criticism from China and South Korea because of its justification of past Japanese aggression in the war. In addition, many Japanese are against the usage of this material in schools.
There are many publications supporting the view that the Japanese wars against Korea, China and the U.S. were for self-defense and self-respect of Japan, not for aggressive purposes. “A pride of the Japanese” written by Masahiko Hujiwara is one of bestselling books in 2011. He insists that we must reject the Tokyo Trials in 1946 to restore the pride of the Japanese people and revise the Constitution of Japan to reinstate military forces.

However, most Japanese don’t agree. They are willing to recognize the fact that Japan declared war and have decided not to do this again but to keep peaceful relations between foreign countries instead. They oppose revising the Constitution of Japan, especially article nine as recorded below.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
   In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

Not only in Japan, but also in many other countries, for example Norway, there are many militant nationalists. However, they only make up a tiny fraction of the Japanese population. We should work together to ensure trusting relationships

2011年8月2日火曜日

3月11日原発事故を経験した吉永小百合さんの悔い・私の痛み

 81日付の朝日新聞は、原爆詩の朗読会で、 女優の吉永小百合さんが、福島第一原発の事故に触れ「世の中から核兵器がなくなってほしい。原子力発電所がなくなってほしい」とあいさつしたと報じている。「『原子力の平和利用』という言葉を、今まであいまいに受け止めてしまっていた。『もんじゅ』(福井県敦賀市の高速増殖原型炉)が恐ろしいことは聞き、廃炉に向けた運動はしていたが、普通の原子力についてもっともっと知っておくべきだった」と話したと報道している。吉永さんの誠実さに感動した。同じ日の朝日新聞は別の記事で、ルポライター鎌田慧さんが「原発反対で運動してきたが、社会を変える力になっていなかった」と振り返ったと書いている。頭が下がる。


311日原発事故を経験して、なぜもっと前から脱原発にむけ運動をおこし国民的合意を作れなかったのか。これまでの自らのあり方について痛みをこめて振り返り、これからの脱原発の運動への決意を固めている人は少なくない。

私も同じ痛みを持っている。

私は原爆の被害についての知識は持っていた。チェルノブイリ事故についても知識は持っていた。そして311日以前、マスコミが垂れ流した「地球温暖化防止のために原発を」という宣伝にも批判的であった。安全点検をして危険な原発は廃棄するべきであると考えてきた。もちろん「安全な原発」は存在しないから、実践的にはすべての原発は廃棄するべきという考えであった。でもすべての原発を、期限を決めて停止するべきであるとは言ってこなかった。核兵器廃絶と同等の重要性のある課題として取り組んでこなかった。それはなぜか。危険な原発はやめるのは当然としても、原発を全廃しても私たちのいのちと暮らしを守ることができると断言できなかったことにあるのだろう。「本当に原発ゼロで、大丈夫か」との懸念が、脱原発宣言を躊躇させたのである。なぜそう考えたか。どの情報に基づいて判断したのか。結局は原発推進論者の主張に幻惑されていたのだろう。考えが足りなかった。胸が痛む。

そして今回の福島の事故である。多大な被害を福島県民に与えた。故郷を奪い、死の恐怖を押し付けた。リスクはあるかもしれないが我慢してくれとは言えない。私たちのいのちと暮らしを守るために、かりに金を払ったとしても誰かを踏みつけにしてはいけない。いくら賠償金や補償金をつんでも、これほどまでに他者に犠牲をおしつけるのは不正義である。

しかし原発を全廃するために、私たちのいのちや暮らしがどうなってもいいわけではない。困難はあっても原発なしで私たちのいのちと暮らしをまもる国づくりをしようと呼びかける時である。さらに発展途上国では水と食料を確保するために十分なエネルギー供給が不可欠である。脱原発の安全なエネルギー確保のために人類の総力を結集する時である。この課題を21世紀前半で解決しなければならない。

エネルギー問題について311日以前どう考え、そして今どう考えているのか。それを明らかにするべき時である。そして国民的・人類的合意をつくる時である。