最近、大臣などがテレビの画面で怒りをむき出しにして発言することが目立っている。
たとえば鳩山総務大臣。
草薙事件で、「めちゃくちゃな怒りを感じている。なんでそんな者をイメージキャラクターに選んだのか。恥ずかしいし、最低の人間だ。絶対許さない」と鬼の形相で降板を示唆した。
しかし翌日には世論の反発があり撤回された。
桝添厚生労働大臣。
インフルエンザ問題で横浜市長に対して「組織として危機管理の体を成しておりません。」「もし情報が(横浜市長に)上がってなければ、組織としての危機管理体制が成っていないということです。」と決めつけ、「上に立つ者がきちんとリーダーシップを発揮して危機管理をやらなければならないと思います」
と発言した。
後に横浜市長の冷静な事実にもとずく反論があった。
もう一つ、 桝添厚生労大臣。
新型インフルエンザ発生国への渡航歴がないにもかかわらず、発熱などした人が病院で診察を断られたケースにたいして「医師法違反だ。医者の社会的義務として対応してもらいたい」と、不快感を示した。
これも新型インフルエンザにたいして医療機関も患者もまだ十分に理解していない混乱のなかの現象であることが明らかになった。
公の場で怒りや不快が表現されるのはかってなかったことである。
感情にまかせて物事を断定する風潮が広まることは恐ろしい。
怒りのつぶてが飛び交う社会などまっぴらである。
とくに権力をもつものが事実にもとずき筋道をたてて発言しないと国民に誤った情報を提供したり、不適切な判断をさせることになる。
慎んでいただきたい。
フィンランドメッソドで紹介されている議論のルールの一つに「話すときに、怒ったり泣いたりしない」がある。
意見を述べる時に感情をむき出しにするのは控えなければならない。
議論の最中に参加者が他の参加者に対し怒りをむき出しに表現し会議が凍りついたことを経験したことがある。
両大臣はこのルールを覚えておいてほしい。
特に私が気になるのはこの二人の大臣が他人を一刀両断に切り捨てる発言をする資格が自分にはあると考えているように思われる点である。
日本国憲法前文には「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と記されている。大臣の権力は国民に由来する。
タレントも横浜市長も医師たちも国民の一員である。
それに対する批判は、慎重に事実を確かめ節度をもったものでなければならない。今は江戸時代ではない。
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