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2009年10月17日土曜日

「久しぶりやな」これがいつもの最初の言葉である。
「先週来たやないか」と言うと、「そーやったかな」と答える。
私が行くまでは、テレビをつけているがうたた寝をしていたようだ。
最近は阪神の勝敗にも関心がない。

とろこで「○○ちゃんは何歳になった」孫の話である。
順番に孫の名前が出てくる。
食卓の前に貼った写真を見ながら順番に孫がどこに住んでいるのか、結婚しているのか、子供ができたのかの話になる。
そして最後にひ孫がまだ一人も生まれていないことを知ると。
私に「そうか。孫が一人も生まれなくてよかったな。おじいさんにならんでよかったな」と言う。

そして今度は私の年の話である。
「いけしんは何歳になったんや」「もう直ぐ60歳や」「もう60か。ところで私は何歳や」「91や」「へー91かびっくりしたなー。自分の年も忘れてしもうたわ」「ケンジロウはなぜはよ死んだんや」「早いことない80で死んだんや」「そうやったかなー」

これは91歳の母と私が毎週繰り返す会話である。
会った時に何回も何回も繰り返す会話である。

回想療法やリアリティーオリエンテーションという技法があることを知っている。
一応「もの忘れ外来」をする専門医の端くれの私だが自分の家族のことになるとなかなかそんなことはできない。
せめて母を笑わせる面白い話を一つはしようと思うのだがそれもうまくはいかない。
せめていやにならずに同じ話を何回も繰り返して聞くのが自分の務めだと思っている。
週1回行って話をするだけだからできるのかもしれない。
四六時中顔を合わせる家族なら「その話はもう聞いた」と嫌みの一つも言いたくなる。

食事をしてビールを飲んでテレビを見る。
そして寝る。
これが毎週1回の母親宅訪問である。

朝顔を合わすと「なんや泊っていたんか。ぜんぜん知らんかった。」
朝食をすませて帰る時になり、私が「また来週来るわな」と言うと。
「帰らんといて」と90を超えた老人とは思えない若々しい感情の入った声を出す。
母の両肩を抱き「また来るな」と言い残して家をでる。

車のリアウインドウから後ろを見るといつまでも母が手を振っている。
まるで「伊豆の踊りの子」の娘のように。
死んだ父の代わりは到底できないが、母のかわいい幼い息子役も青年の息子役も壮年の息子役もできそうである。
「また来るな」

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