「頑張っている人も頑張っていない人も一緒になるというのは、ものすごく不平等だと私は思うのですが、これは幼少の体験が染みついているのだと思います」(竹中式マトリクス勉強法 竹中平蔵 幻冬舎)
竹中氏は小泉元首相と二人三脚で構造改革をすすめ、「頑張っている人」と「頑張っていない人」を差別する社会=格差社会を作り上げました。彼のいう「頑張っている人」とは「人生を戦い抜く武器としての勉強」をして勝ち抜いた人を言うのです。もちろん一流大学を出て一流銀行に勤めアメリカに留学し大臣になった竹中氏は自分を「頑張っている人」と思っているのでしょう。その対極にある派遣・パート・アルバイトに甘んじる不安定雇用の労働者は「頑張っていない人」に位置づけられるのでしょうか。低賃金で酷使されネットカフェで眠る労働者は「勉強」をしてこなかったから自業自得なのでしょうか。未来に希望がないところに「勉強」をする気力がどうしてわくのでしょう。人生を戦い抜く武器としての勉強」をしても負けてリストラされた人は「頑張っていない人」なのでしょうか。「頑張っている人」が「頑張っていない人」を踏みつけにする「平等な」社会構造は変えなければなりません。
竹中氏は金や権力をもつものが一層金や権力を集めていることは不平等と思わないのでしょうか。富裕層の金がマネーゲームで頑張らなくてもさらに増えています。小泉家のように国会議員の二世たちは頑張らなくても議員になります。これこそ不平等の極みです。
たしかに社会には頑張る人が必要です。しかし頑張りは勉強をして人生を戦った勝ち負けで測るものではありません。社会や文化への貢献で評価するものです。頑張った人が報いられることが大切です。それが頑張り続ける動機付けになります。例えば頑張って介護の勉強をし、日々働く介護労働者は報いられておらず、どんどん職場を去っています。頑張りが評価される社会をつくる必要があります。
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